鷲見の立石で感じる歴史。
鷲見の立石の特徴
鷲見の立石は立石キャンプ場の由来となった場所です。
二つの巨岩が並ぶ壮大な景観が魅力です。
岐阜県郡上市高鷲町の歴史を感じる史跡です。
近くの立石キャンプ場の名前の由来になった場所です。立石キャンプ場からは、林道入り口より徒歩約15分のところにあります。立石キャンプ場に泊まったなら、ここまで散歩することもオススメです。(立石キャンプ場に泊まったときに渡される地図にも、この 鷲見の立石のことが書かれています。)立石の名前の通り、二つの先端の尖った「立石」の形状をしています。(パワースポット的な厳かさも 感じられました。)立石のそばには、由来に関する説明の看板が立てられていて、歴史も感じることが出来ます。近くを流れる せせらぎは、立石谷と呼ばれています。神秘的な雰囲気がありますが、小さな子供にはトトロに見えるかも...です。尚、説明看板に書かれている、郡上藩の学者であった江村北海による この地への1781年の訪問ですが、以下のように彼の紀行文「濃北紀遊」に書かれています。「十月朔. 終朝 雨未だ止まず. 此を去ること数里ならず. 向ふ鷲見村(中桐 鷲見の二村渾て之を須見郷と称す)あり. 霊鷲巌あり 孤峰特立 三十丈 奇秀比ひなし. 赤松翠柏 寸土を仮らずして生茂し 隼鶻常に其の上に巣くふ. 淇水嘗て其の状を図して余に夸示す.」(霊鷲巌が、鷲見の立石のことです。)
| 名前 |
鷲見の立石 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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鷲見の立石(すみのたていし)は、岐阜県郡上市高鷲町鷲見地区にある、二つの巨岩が並び立つ史跡だ。郡上市の史跡指定を受けているこの場所は、地元では古くから「霊鷲岩(れいじゅがん)」とも呼ばれ、山の神として大切に祀られてきた。実際、昔から立石の周辺には不浄なものを近づけないよう守られてきたという。立石自体は、鷲ヶ岳の麓、登山口に続く林道脇の丘に位置している。周囲には白樺林が広がり、静かな雰囲気の中で特異な存在感を放っている。資料によれば、この二つの大岩は、古来より農耕や山仕事の守護神として地域住民から深く崇敬されていたようだ。江戸時代の天明元年(1781年)頃、儒学者の江村北海が著した『濃北紀遊』にも、この岩が登場する。その中で北海は「有霊鷲岩孤峯特立三十丈奇秀無比…」と記し、独立してそびえる岩の姿と霊性を高く評価している。この記述からも、立石の存在は当時すでに広く知られ、地域外にもその名が伝わっていたことが分かる。さらに鷲見の立石を語る上で欠かせないのが、「鷲狩り伝説」だ。これは、当地を治めた鷲見(わしみ)氏にまつわるもので、鷲見氏の祖先が鷲を退治したという故事が『鷲見大鑑』に記されている。その後、江戸時代の文人、小川休和によっても紹介され、鷲見の地名由来にもなったとされている。こうした伝承もまた、この土地に根付く山岳信仰と強く結びついているのだろう。立石が宗教的・呪術的な意味合いを持っていたことも興味深い。古くからここは神聖な場所として扱われ、農作物の豊穣や山での安全を祈願する場であった。また、近隣には白山信仰にまつわる奥の宮跡や、修験道と関わりの深い史跡が点在しており、立石がそうした山岳信仰の中で重要な位置を占めていたことは容易に想像できる。周辺の文化財との関連も見逃せないポイントだ。立石のすぐ近くには市指定文化財の鷲見白山神社薬師堂があり、鷲見城址という史跡もある。特に鷲見城址は鎌倉時代から南北朝時代にかけて築かれた山城跡で、鷲見氏の盛衰を今に伝えている。これら史跡が示すように、鷲見地区は古来、飛騨方面との山間ルートとして交通の要衝でもあり、地域の歴史を語る上で重要な位置を占めてきた。また、昭和31年(1956年)9月29日に史跡指定を受けた当時は高鷲村だったが、2004年の市町村合併に伴い、現在は郡上市の史跡として引き継がれている。近年も地域住民や文化財保護協会によって保全活動が続けられており、例えば平成24年(2012年)5月23日には、協会によって周辺の草刈り清掃が行われた。こうした取り組みによって立石は良好な状態で守られ、訪れる人々に郷土の歴史と信仰の深さを静かに伝え続けている。鷲見の立石は、その外観の雄大さと歴史的意義だけでなく、地域社会の営みや文化、さらには伝承までが凝縮されたような場所だ。訪れれば、長い時間を超えて受け継がれてきた人々の思いや祈りを感じられるに違いないだろう。