赤間神宮隣の安徳天皇陵。
安徳天皇 阿彌陀寺陵の特徴
安徳天皇の御陵は静かにお参りできる聖域です。
異国情緒あふれる阿弥陀寺陵は歴史に護られたスポットです。
宮内庁管理の天皇陵は、山口県唯一の貴重な場所です。
2026年2月15日(日)久しぶりに妻と赤間神宮に訪れて初めてこの場所を知りました。菊花紋章をあしらった門で閉ざされていて中に入る事はできませんでした。御陵、陵墓と言われているので壇ノ浦の戦いの時代、平安時代の安徳天皇のお墓という事になります。色々調べてみると各地に生存説があり、それぞれの場所に御陵とされるお墓が残っているようです。歴史背景から当時の明治政府がココを正式な御陵と決定したようです。赤間神宮とは対照的で彩りは無く、気付かない人も多いかもしれません。
赤間神社の隣にある安徳天皇の御陵「阿彌陀寺陵」です。壇ノ浦の戦いの歴史を今に伝える大切な場所。宮内庁管轄のため中へは入れませんが、外からでもその厳かな雰囲気は十分に伝わってきます。下関の歴史を巡るなら外せないスポットです。
赤間神宮の隣にひっそりと有りました。綺麗に整備されています。以下引用させて頂きました。赤間神宮の安徳天皇阿弥陀寺陵(あんとくてんのうあみだじのみささぎ)は、1185年(元暦2年)3月24日に崩御した安徳天皇の御陵。1889年(明治22年)、陵墓と決定された。西日本で唯一の御陵。陵は円墳で玉垣と土塀で二重に囲まれています。時代平安末期名前安徳天皇阿弥陀寺御陵住所〒750-0003山口県下関市阿弥陀寺町4-1交通アクセスバスJR下関駅 10分赤間神宮前バス停 徒歩車中国自動車道下関I.C 15分。
安徳天皇御陵とされている場所は、西日本のいくつかに有りますが、その内の一つです。赤間神社の一角に鎮座なされています。
壇ノ浦の戦いで8歳で入水した安徳天皇を祀っています。ここは宮内庁の管轄で、中に入ることはできません。
見落としがちだけれど、参拝時にはご挨拶しておきたいです。
赤間神社は、明治維新以前の神仏混淆時代には阿弥陀寺という寺でした。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は、壇ノ浦に面した御裳川で引き上げられ、1185(寿永4年)年3月24日に紅石山麓の阿弥陀寺に埋葬されたと伝えられています。その後、1191(建久2年)年12月14日 後鳥羽天皇が長門国に勅して陵上に御影堂を建立。この御影堂が明治維新の神仏分離·廃仏毀釈で、天皇社と改称され、その後赤間神社となったそうです。安徳天皇の陵墓が阿弥陀寺陵と呼ばれるのは、江戸時代までの呼称を引き継いでいるため。陵は明治13年に修築され宮内庁の管轄となっているそうです。現在は門だけが見る事が出来、その門は閉ざされています。
安徳天皇の御陵。天皇家の家紋 菊の御紋が位の高さを感じる。
門の外側からお参り。平家一門のお墓のあたりから、安徳天皇陵を見ることができます。でも、さすがに写真を撮ることは憚れました。安らかにお眠りください。
| 名前 |
安徳天皇 阿彌陀寺陵 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
083-231-4138 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
安徳天皇の陵墓(りょうぼ)で、124代の歴代天皇の陵墓の中で、近代の天皇を除けば近畿にない陵墓はたった2つ。1つは75代崇徳天皇で香川。もう1つが81代のここ安徳天皇のものだそうです。隣の華やかな赤間神宮とは違い、非常に厳粛な雰囲気があります。陵墓ということもあり、造りはまさに日本古来の神社建築物そのものです。ちなみに阿彌陀寺陵(あみだじのみささぎ)と読むそうです。