歴代藩主に思いを馳せる。
初代津藩主 藤堂高虎の墓の特徴
歴代津久居藩主藤堂家の墓苑があります。
S20の空襲の傷を見つけることができる!
静かな雰囲気の中でお参りできる場所です。
とても大きな灯籠などあり気になる見たかったが駐車場あるのかな?
たくさんの立派なお墓が並んでいました。
三重県津市寿町の歴代津久居藩主藤堂家歴代墓苑の中に有ります。初代藩主の高虎公の墓ですが、造りは他の歴代藩主の墓と同じでです。周りには史跡の説明版と史跡であることの碑が有ります。歴代藩主の墓の中で高虎公の墓には献花されており、酒を備えて行く人も居るようです。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した藤堂高虎公の墓所、国道から1つ横の川を渡ったガソスタから右手側道沿いで直ぐ解りますが、歴代藩主の墓石が立ち並ぶも空襲の損傷があるせいか荒廃した雰囲気特に藤堂高虎の墓石が立派と言うわけでは有りませんが説明板とそれぞれ別に何代目か看板が建って居ます。近くに津城跡も在りますが時間なし。上野寒松院にも墓所があり神田和泉町に屋敷があったとか武勇に優れ築城の名手で更に政治力があり徳川家康にも重用されますが主君を度々替え7回?元々豊臣恩顧大名から徳川家へ鞍替?みたいな部分が在りますが伊勢津藩32万3000石初代藩主、明治維新の鳥羽・伏見の戦いで幕府を裏切った?というか追撃に加わり勝敗に大きく関わったので初代のエピソードが強調されている説も、wiki参照。
お参り✨S20の空襲の傷がある❗歴代藩主さんにもお参り✨
| 名前 |
初代津藩主 藤堂高虎の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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藤堂高虎のお墓は『三重県津市寿町』にある『寒松院』にあります。(藤堂高虎と秀吉や信長との関係は?また、最期はどうなった?)藤堂高虎は織田信長・豊臣秀吉に仕え特に秀吉の弟・秀長のもとで能力を開花させ、城造りの技術や水軍の指揮で大名に列した。豊臣家滅亡後は、徳川家康の側近として厚く、信頼され、外様ながら、譜代並みの待遇を受けていました。最期は1630年、江戸の藩邸にて75歳で死去しました。織田信長・豊臣秀吉の関係⦿初期の経歴:浅井家などを転々とした後、1576年に織田家重臣の豊臣秀長に300石で仕官しました。⦿秀吉・秀長との関係:秀長の軍監として、但馬平定や三木合戦、賤ヶ岳の戦いなどで成功を挙げました。秀長からの信頼は篤く、秀長の没後は、その秀保に仕え、秀保没後、その能力を高く評価した秀吉の直臣(大名)となりました。⦿秀吉の評価:九州征伐や朝鮮の役(文禄・慶長の役)での水軍の運用能力が認められ、最終的に伊予国板島7万石の大名に取り立てられました。豊臣家から徳川家へ徳川家康との関係:秀吉死後、徳川家康に接近。関ヶ原の戦いでは東軍の主力として活躍し戦後、伊予国・今治・宇宇和島で合計20万石を得ました。⦿大坂夏の陣:豊臣家と敵対し、徳川方として大坂冬・夏の陣に参戦。大坂の陣では、親友でもあった豊臣秀長を主君としていたのに対し、徳川家康に忠義を尽くすという複雑な立場となりました。⦿晩年:家康死の前、枕元に呼ばれるほど、側近となり、その死後も徳川秀忠・家光を支えました。⦿最期:寛永7年(1630年)10月5日、江戸の藩邸で75歳で死去しました。⦿後世の評価:数多くの主君を変えたことから『変節漢』と言われることもありますが、仕えた主君には、徹底して義理を果たしており、特に豊臣秀長には生涯弔い続けたと言われています。