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名前 |
夕陽庵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
三日町の夕陽庵(せきようあん)は、江戸時代後期に設けられた仁科三十三番札観音霊場めぐりの第十七番札所となっていたそうです。この小さな庵が何を祀り、どんな寺院に帰属していたのかは不明です。明治維新で松本藩が新政府を忖度して極端な廃仏毀釈をおこなったため、寺院のほとんどが破壊され、仏像や文書など文物がことごとく失われてしまったからです。この庵の傍らを通っている小径が、幕末までの大町街道です。このあたりの集落が三日町と呼ばれるのは、江戸時代に大町宿周辺の集落群を順繰りに市が開かれていて、ここでは毎月三日に市が催されたからだそうです。夕陽庵と大町街道の周りには今でも墓地があるので、そういう墓地を管理する寺院があったはずです。夕陽庵はその寺院に属していたものと考えられます。街道脇の西向きの坂にあって北アルプスに沈む夕陽が美しく見えたので、夕陽庵と呼ばれたのかもしれません。