猿倉山頂の絶景と歴史。
猿倉城跡の特徴
上杉謙信の越中平定時に築城された歴史ある場所です。
風力発電跡が残る丘からの眺めが最高です。
公園の展望台から見える平坦な頂上が特徴的です。
頂上に展望台ドーーーンひたすら階段を登れば 眺めが良いトコです (;^_^A標高345m
猿倉山の名の通り、猿と遭遇。リスク回避で登城断念…。猿の他、熊出没注意⚠の看板有り。
公園化により改変を受けていますが、段郭や切岸などの遺構を見ることができます。眺望がとてもよい。
この小高い所に城があった。水がどこから確保したのかを知りたくなった。
上杉謙信の越中平定の最中に築城され、豊臣秀吉が佐々成政を攻めた富山の役の最中に廃城となりました。戦略的な要地ではなく、神通川の川筋を監視するために築城されたと言われています。おそらく神通川に面した斜面に搦め手があり、川関所を兼ねたような曲輪があったのではないかと推測されます。今はなんの遺構も残っておらず、石碑が立っているだけです。
風力発電跡があります。
まあまあ広めの駐車場から 少し歩いてすぐに頂上まで行けて 眺めもなかなか良くて 最高です!!
公園の展望台が整備され頂上はかなり平坦で元の地形かは微妙 周囲の傾斜はきつく林で改変はされてなさそう展望台から見下ろせて判り易い銘板のみで説明無し。
| 名前 |
猿倉城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
076-467-0467 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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猿倉城跡(さるくらじょうあと)は、富山市寺家(じけ)の猿倉山の頂上付近に位置する戦国時代の山城だ。築城は戦国時代の真っ只中、元亀2年(1571年)ごろとされている。城を築いたのは飛騨国出身の武将、塩屋秋貞(しおや あきさだ)と伝えられる。猿倉城のある猿倉山は、標高約342メートルの山で、富山平野と神通川流域を一望できる絶好の場所にある。神通川は戦国期においても重要な水運路だったため、この城の築城目的は河川交通の監視と地域の防衛拠点としての役割にあったと考えられる。当時、越中国は複数の勢力が入り乱れた激戦区であった。塩屋秋貞は飛騨地方を拠点に活動し、はじめ上杉謙信の支援を受けつつ勢力を拡大した。しかし後に、織田信長の家臣である佐々成政が越中に進出すると、秋貞は成政に帰順し、神通川周辺を抑えるために猿倉城を重要な拠点として維持した。1578年以降、佐々成政が越中を制圧するにあたり、猿倉城は神保長住(じんぼう ながずみ)や土肥氏(どひし)など、成政配下の有力な武将とともに防衛ラインの一翼を担ったとされる。城の周辺には栂尾城(つがおじょう)や寺家砦(じけとりで)など小規模な支城や砦がいくつも築かれており、これらと猿倉城が連携して地域の防御を固めていたようだ。しかし、戦国の世の習いとして、この地の安定は長くは続かなかった。天正11年(1583年)、城主であった秋貞は上杉方との戦いに敗れ討死し、猿倉城の支配は不安定になる。1585年、豊臣秀吉が佐々成政の越中平定を目指して攻め入った際(金森長近が軍を率いた「富山の役」)、猿倉城もまたその軍勢に攻められ、落城してしまった。この落城により、猿倉城の歴史は実質的に幕を下ろしたと言えるだろう。猿倉城には石垣や大きな堀跡などの目立った遺構は残っていない。城があったとされる場所には小さな平坦地がわずかに見られる程度で、戦後の開発により遺構はほぼ失われている。ただ、山頂には現在「風の城」と呼ばれる西洋風の展望台と風力発電の風車が設置されており、往時の城の面影はほとんど残っていないものの、その眺望から城が持っていたであろう戦略的価値を感じ取ることができる。猿倉城にまつわる特別な伝説や逸話はあまり残されていないが、その名前から猿が多く生息していた山だったという説もある。しかし、地元に深く伝わるような具体的な話はなく、城に関する記録は武将たちの争乱とともに歴史の波間に消え去ってしまったようだ。また、猿倉城のあった寺家地区は、古くから「姉倉比売神社(あねくらひめじんじゃ)」が鎮座する土地で、この地域一帯が古代より神聖視されていた可能性もある。姉倉比売神社周辺には古い土塁の跡も発見されており、猿倉城以前にも防衛や祭祀のための施設があった可能性が考えられている。猿倉城は築城から落城まで15年足らずの短命な城だったが、佐々成政や上杉謙信、そして豊臣秀吉といった著名な武将が関わる歴史の舞台となったことから、富山の戦国史を語る上で決して無視できない存在だ。現在、城跡を訪れる人々にとっては単なる展望台となっているが、その歴史を知ることで、この地に刻まれた戦国武将たちの戦いと生き様を感じ取ることができるはずだ。地味ながらも歴史的には非常に興味深い、そんな山城跡が猿倉城である。