旭山城の戦国遺構、見応え保証!
旭山城跡の特徴
旭山城跡は上杉と武田の歴史が詰まった大規模な山城です。
雄大な堀切や竪堀が見応え抜群で、戦国時代の遺構を感じられます。
標高785mの場所から川中島を一望できる絶景スポットです。
旭山城(あさひやまじょう)戦国時代を中心に北信濃の争いの中で重要な役割を果たした城です。標高は約815メートルで築城時期は戦国時代初期(16世紀初頭)とされています。また、築城者は埴科郡坂城町の村上氏またはその配下の豪族とされていますが詳細不明です。旭山城は、埴科郡坂城町の戦国武将村上義清が支配していた時期に、北信濃の防衛ラインの一つとして使われていたと考えられます。この地域は川中島(現在の長野市周辺)をめぐる勢力争いの舞台となっており、村上氏、武田氏、上杉氏などが激しく争った場所でした。1550年代、甲斐国武田信玄が村上義清を攻める中で旭山城も戦乱に巻き込まれました。その後は村上氏が上杉氏と手を結んだ後、旭山城も上杉方の前線基地として再利用されます。川中島の戦いが終息し、江戸時代に入るころには、戦略的価値が薄れて廃城となりました。具体的な廃城年は不明ですが、16世紀後半〜17世紀初頭にはすでに使われなくなっていたとされます。現在は旭山自然公園として整備されており、ハイキングコースとして人気です。城の遺構(曲輪や堀切など)がいくつか確認でき、善光寺平を一望できる眺めの良い場所ですので、是非登ってみてはいかがでしょうか!
なかなか大規模な山城で見応えあり!
旭山の山頂です。登山口から20分ほどで登れます。城跡といっても特に痕跡らしきものはなく、眺望もありません。ただベンチに座ってると鳥の鳴き声に癒されます。
上杉と武田がせめぎ合っての歴史を残す山城堀切が大きく見応えあり眺めもかなり良く、川中島・善光寺平を睥睨するには確かに必要となるのでここでの争いは必然どうでもいいことですが、今でこそ車で近くまで行けるけど、当時はとにかく麓から登らねばならないのでその労力には敬服いたし候m(_ _)m
日の出を見ようかと薄暗いうちから登ったら雪雲に覆われてた🌨️それが幻想的な戦国遺構の雰囲気を醸し出して素晴らしい👍️堀切♬竪堀♬畝状竪堀♬切岸♬土塁♬段郭♬石積♬崩れ石塁♬と さすがに武田VS上杉の争奪戦の山城だけあって見ごたえタッッップリ 🙌朝8時すぎに街並みが見え始めた頃の川中島の眺めも良かった👌標高785m、観世音堂🅿️の標高615m
予想していた以上に本格的な城跡でした。市街地から林道を登り、城跡南側の観音堂の駐車場に停めさせて頂きました。林道を少し西側に行き右折して舗装路の終わりまでいくと登城口があります。登城して数分で広いスペースに出ます。登城路から城跡南側に取り付いたところ、城跡南側は段々の曲輪で、中央に竪堀が本丸西から下まで貫いています。石材が転がっていて、一部石積みが残ります。本丸は方形で低土塁あり、西側に竪堀に繋がる堀切を挟んで曲輪があります。その北西にも二段ほど曲輪があり石積みが見られました。本丸北側の腰曲輪を通って本丸を周回し、東側の細く伸びる曲輪に向かいました。巨岩や雨水貯める凹みを抜けて、東端の展望地に至ります。善光寺平が一望でき、戦略上要地であったことが窺えます。北方に対面する葛山城の山が、かなり間近に感じられました。
旭山城跡形態:山城(783m/90m)別名:なし文化財指定:不明遺構:石垣,土塁,郭,堀城主:武田氏→上杉氏歴史:築城年代は定かではない。史料による初見は天文24年(1555年)で、武田信玄が善光寺の別当栗田鶴寿を味方に引き入れると、上杉謙信が葛山城を拠点とし、信玄は旭山城に兵三千と弓八百張、鉄砲三百挺を送り込んで対応した。このときは長期戦となり、今川義元の仲介により和睦、その条件として旭山城の破却が盛り込まれていた。弘治3年(1557年)武田信玄は葛山城を急襲して攻め落とすと、今度は上杉謙信が旭山城を修築して拠点とし武田氏と対峙した。 永禄4年(1561年)の川中島合戦の後、上杉方の守将小柴見宮内を討った武田氏が旭山城を占拠した。その後は海津城や長沼城が重要拠点となっていった。説明:旭山城は標高785mの旭山山頂に築かれており、葛山城とは裾花川を挟んで対峙している。主郭は山頂にあって方形で土塁が周囲を巡っている。主郭の北東側は深い堀切によって断ち切られ、その外に小郭を挟んでもう一条の堀切が北尾根に残る。主郭から東へ伸びた尾根には堀切を挟んで東西に長い曲輪があり、その先も堀切と削平地が続き、先端に展望台となった曲輪がある。旭山城は全体的に石積がされていたようで、その残骸が至る所に残っている。状態の良い石積は本丸の西側の南斜面辺りで、竪堀付近や南側の帯曲輪、横堀の所が良く残っている。案内:旭山の南側中腹にある朝日山観世音堂を目指す。観世音堂の駐車場からそのまま車道を歩いて行くと、しばらくして林道朝日山線入口の看板がある。この林道は直ぐに行き止まりとなるが、この終点から登山道が付いている。
大木に囲まれた城址からの眼下の景色は望めませんが、木陰に囲まれ、木製ベンチもいくつかあるので、長く休憩できます。旭山観音堂前に数台の駐車場があり、そこからは、里山の風景を楽しみながら30分程度で到着。初心者向けの山歩きです。途中、西洋タンポポに侵略されながらも、健気に花を開いている日本タンポポが道道や城址広場に見えて元気を貰えます。
散歩に丁度良い感じの山です。
| 名前 |
旭山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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旭山城は葛山城から谷を挟んだ向かい側の旭山山頂に築かれている。旭山は標高785m、麓からの比高も約350mあるが、車で中腹の朝日山観世音堂まで登ることができ、そこに駐車も可能である。観世音堂からの比高は約150mとなる。旭山城は尾根沿いに郭を並べた連郭式の山城で、規模はそれほど大きくない。主郭は両端を堀切で区切り土塁で囲まれている。主郭周辺には石積や竪堀が確認できる。尾根は東南方向に延びており、郭が並ぶが先端部の郭には物見岩と呼ばれる大きな岩がある。この郭からは長野市街地を見渡すことができ、眺望が非常に良い。旭山城の築城時期ははっきりしない。川中島の合戦時に上杉勢が葛山城に入ったのに対し、武田勢はこの旭山城に籠ったという。いったん和睦が成立し旭山城は一度廃城となる。その後、武田勢は葛山城を急襲し、落城させる。それに対し旭山城には今度は上杉勢が入り葛山城の武田勢と対峙することとなった。結局、川中島一帯は武田氏の勢力下となり、旭山城も武田氏に占拠されることとなった。