古代東山道の供養塔巡り。
森宿一里塚跡(森宿一里塚供養塔群等)の特徴
月待塔や庚申塔が並ぶ一里塚跡に、歴史の深さを感じます。
古代東山道のルート上に位置する、興味深い史跡です。
供養塔群は、歴史愛好者にとっての魅力的なスポットです。
「如意輪観音」様の(レリーフ風)刻像塔と、「馬頭観世音」の(文字を刻んだ)板碑が多く見られる場所です。そして、倒れている石塔(上記も含め供養塔、庚申塔が混在)が多い場所でもあります。特に、「如意輪観音」様の場合、お姿がはっきりと彫り込まれ、上下は明らかであるはずなのにコロリと。これは、震災等の地震の影響ばかりではないでしょう。盛り土による斜面ですので、設置方法自体に配慮が欠けていたように思われます。そのような状況もあり、次のような感想を抱きました。この石塔群(供養塔群)については、(1)「森宿一里塚跡」のポイントに他の方がお書きになっていますように、「その乱雑さから、元々は別の場所にあったものが、この場所に集められた」という考えに賛同します。一方で、元々の空き地に集められた、というものでなく、ここに何らかの石塔群があって、他の場所から弾き出された石塔が集められた、とも考えます。(2)この街道の北側にも「筑後塚供養塔群」がありますが、須賀川市教育委員会により解説看板も整備されています。おそらく、須賀川市はそうした気風(心意気)をお持ちなのだろうと思います。そして、この場所が昔からの場所であるのなら、上記「筑後塚供養塔群」のように何らかの公的対応が行われそうに思います。それがないのならば、人為的に集められたのだろう、という考えですね。(3)とは言え、この街道沿いに上記供養塔群があることも事実ですので、この場所にも何らかの石塔群があっても不思議ではありません。(4)それでありながら、・この石塔群の乱雑さ・ここに、須賀川市による史跡整備が未だ行われていない状況・他の投稿者さん(地元の方)のご記憶に、この場所の記憶が薄いこうした状況を考えるに、「やはり」と。さて、この場所に集められたとするなら、そう古い時代ではないでしょうから、須賀川市でも、本来の様子に関する記録を残している可能性はありますね。先人の願いが込められているはずですので、復元はムリでも、それぞれの来歴・由緒くらいは残したい、と思うところ。それがムリでも、倒れた石塔を起こして差し上げたい。最初からここにあり、歴史の中で倒された、ということなら、倒れた状態を維持することもあるでしょう。一方で、もし、ここに集められて、その際に、あるいはその際の施工不充分で倒れた、ということなら、起こすことも許されるのではないかと。まずは、ご近所さんに尋ねてみましょうか。その後で、市役所(教育委員会とか、観光課あたりかな?)を訪ねてみましょうか。と思っても、遠方に居住しているので、次は寒くなってからになりそう。この件、進むかな?
この供養塔群が古代東山道のルート上にあったのは最近まで気付きませんでした。母校である須賀川第二中学校の旧正門から滑川方向には部活動のロードワークで何度も走っていましたが、若いころは何も考えなかったものだと反省しています。よく見ると、古代東山道が通っていたと思われるストレートな路線上にはいくつもの供養塔群や寺社が並んでいるので、比較的長い間アバウトな道として東山道が認識され続けてきたことを意味すると思います。この史跡は中世近世の供養塔群と一里塚という遺跡ですが、それに加えて東山道周辺遺跡という魅力も加えて大事にしたいものです。
| 名前 |
森宿一里塚跡(森宿一里塚供養塔群等) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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一里塚跡地になぜ月待塔や庚申塔が?と思いましたがこれは他の土地の史跡にもあることですが土地開発等で近辺から集められ置かれたものではないか?と思います。これらのものは、その場所に有ってこそ意味がある。今の世の中、暦も社会の都合により祝日等か日時変わっています。祝日もその日月だからこそ意味があるのに…でも、それらも消え行く中になんとか残したいそんな気持ちもあるのかも知れませんね。