高台から眺める勢田の産土神。
多賀大神宮の特徴
高台に位置し、素晴らしい眺めを楽しめる神社です。
勢田の産土神として地域の信仰を集めています。
平穏な環境で心をリフレッシュできる場所です。
勢田の産土神。祭神は伊弉諾命・伊弉冊命。社伝によれば創建は昌泰年中(898~901)天文年間(1532~1555)兵火にかかり消失。慶長9年(1604)現在地に社殿を再建した。
令和四年2/9 飯塚市 勢田【旧松喜醤油屋】近くに多賀大神宮と言う神宮が目に付く、何となく由緒正しい神宮と思い参拝する。聞き慣れた神社の名前が脳裏をかすめる、社殿の天上の壁は絵馬が中央に東西南北の羅針盤が配置されている。社殿前に、大きな御神木が左右に配置されている。お祭りに使った山笠の山車が、よく見ると何やら名前の描いた看板が何枚も有る、山車の演目人形名が・・お参りを済ませた。【検索】結果↓御祭神は国産みに大きな役割を果たした伊耶那岐命(いざなぎのみこと)、伊耶那冊命(いざなみのみこと)の夫婦神だ。社伝によると当社は昌泰年間(898~901年)に創建された。その後、天文年間(1532~55年)の兵火により焼失し、1604(慶長9)年に現在地に社殿を造営して遷座した。1701(元禄14)年には、社殿改築に当たって当時直方藩主黒田長清公から改造木材や「妙見宮」の神額が奉納された。1872(明治5)年に村社、1922(大正11)年に郷社へと昇格した。頴田町史によると、明治維新の際、妙見宮から多賀神社に改名された。直方の多賀神社は1691(元禄4)年、妙見神社から多賀大明神に改めたと筑前国続風土記に記載されている。多賀神社は古来勢田区民の「鎮守の神」としてあがめられていたことから明治に入って炭鉱景気とともに祇園山笠もにぎわうようになり、最盛期には6台の山笠を仕立て本山の高さは約㍍にもなったという。明治を経て大正から昭和50年ごろまで続いたが、現在は担い手不足もあり、取りやめとなっている。しかし獅子舞や本殿のしめ縄づくり、夏越し祭りなどの行事が続いている。興味深いのは、黒田藩領だったこの地域には直方、綱分、鴨生を加えると4カ所に多賀神社が鎮座している。こうした例は珍しい。多賀とは「古事記」で伊耶那岐命が鎮座した地名のことだ。播磨から来た黒田藩が江戸時代に流行していた「お多賀さん」(滋賀県の多賀大社)信仰に厚かったからか、神代の伊耶那岐命の伝承を藩内で確認したからか。興味は尽きない。いずれにしても頴田地区周辺は、鹿毛馬神籠石、日王山など古代からの遺跡、歴史伝承の多い地域であり、飯塚市多田に鎮座する日若神社の伝承との関連性などを探っていくと新たな多賀神社の歴史がみえてくるかもしれない。★直方市の多賀神社、黒田藩との関わりが有る興味深い話し😅
高台にあって眺めがいいです。境内に大きな楠が何本も生えてます。
| 名前 |
多賀大神宮 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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令和5年4月26日、同年8月29日18時頃にとれた写真だそうです。(同神社を管理されている地域の方の撮影写真です。)近くの松喜醤油は16時までの開館なので、多賀神社内の大木や木々の木漏れ日、枝の揺れる音などを楽しみながら、堪能することができそうです。同神社を改めてみると、まるでトトロの舞台となった神社の世界観の中にいるようです。