久留米藩の歴史を踏む。
久留米製鉄所跡碑の特徴
昔の町割りが残り、散策に最適な家並みがあります。
田中久重が設立した銃器製造所の歴史を感じられますね。
応変隊屯所跡地区でのすれ違いが楽しめる路地があります。
久留米藩に呼び戻された田中久重は、久留米藩製造所として、まず鑓水古飯田に工場を造り青銅製大砲を製造しました。その後1867年工場は、久重の生家近くに移されました。そこで西洋式の小銃を造りました。製品のできばえに藩主は喜び、更に二万挺の追加注文を命じました。工場が手狭になったため、1869年この地南薫に移ってきました。ここには、東西2棟の建物が並び、長崎で買い付けた旋盤3台据え付けられられました。機械の動力として蒸気機関を利用し、従業員は百余名にのぼったといわれます。しかし、廃藩置県にともない1871年には、その事業は停止することになります。
明治2年(1869)、藩主の命で後装式の小銃20,000挺の増産を命じられた田中久重が構えた銃器製造所。ここには、蒸気機関と旋盤3台が設置され、100人ほどの従業員がレミントン銃やエンフィールド銃の模造品が生産したという。廃藩置県とともに事業は休止された。
名前 |
久留米製鉄所跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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昔の町割りが残る家並みを散策、応変隊屯所跡地区など大人二人がすれ違える路地。