歴史を刻む江差追分の碑。
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江差追分が全国的に知られるようになったことを記念して建てられた石碑です。裏面には、当時よく歌われていた「松前江差の 鴎の島は 地から生えたか 浮島か」という歌詞が刻まれています。
名前 |
江差追分節記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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1932年(昭和7年)に設置された江差追分の記念碑です。追分とは街道の分岐点のことを言います。しかしこの江差には街道の分岐はありません。それは民謡「信濃追分」がこの地方に持ち込まれ「江差追分」になったからです。そして「江差追分」は江戸中期以降に完成されたと言われていますが、その過程ははっきりしません。明確な作詞者・作曲者がいたわけではなく、歌い続けられるうちに現在の形にまとまったからです。この辺は「朝日のあたる家(The House of the Rising Sun:The Animals)」や「スカボローフェア(Scarborough Fair:Simon \u0026 Garfunkel)」のように「詠み人知らず」の曲が、徐々に歌詞や旋律を変化させて今の形になったことに似ています。ところで現在の鴎島は陸繋島ですが、かつては陸から離れた「浮島」でしたが、砂州の発達・マリーナの供用などに伴い(人為的に)陸繋島になったのです。この石碑は陸繋島化する前の1932年に設置されています。そのため石碑の歌詞は「鴎の島は 地から生えたか 浮島か」となっていて、鴎島がかつて島であったことを今に伝えています。ちなみに「追分」とは街道の分岐点を意味する言葉です。東京の新宿にも「追分」なる地名がありました。甲州街道と青梅街道の分岐部のことで、現在の新宿三丁目交差点にあたります。昭和30年代は都電やトロリーバスが行き交う新宿の中心部でした。そこでは「追分だんご」という名物が売られていて、よく買ってもらったものです。地名は消え去り「新宿追分バス停」に辛うじて名を残すだけですが、お団子屋さんは健在です。おいしいですよ。