秋の紅葉と国宝如庵で極上の抹茶を。
如庵の特徴
愛知県の国宝指定建造物のひとつ、歴史に触れる空間です。
紅葉が美しい庭園を歩きながら、秋に訪れるのが特におすすめです。
旧正伝院書院の縁側から和菓子と抹茶を楽しむ贅沢な体験が魅力です。
日曜の初秋。少し紅葉🍁が染め始めています。
襖絵と同時に見学しました。なにより国宝のお茶室の凛とした空気感に感動しました。解説の方の説明もわかりやすく、お抹茶も満喫し、5500円の価値はありました。
織田信長の弟、織田有楽斎(長益)が、元和4年(1618)に建仁寺の塔頭の正伝院に茶室如庵を建てた。明治になって正伝院が現在の正伝永源院に移転した際に、如庵は払い下げられ、その後明治41年(1908)東京麻布区今井町の三井高棟邸に移築された。昭和11 年(1936)に旧国宝に指定され、昭和13年(1938)には神奈川県大磯に移築される。昭和26年(1951)国宝指定、昭和47年(1972)名鉄犬山ホテル(現在のホテルインディゴ犬山有楽苑)の一角に移築され現在に至っている。東京日本橋にある三井記念美術館の展示室内には、如庵の茶室内を原寸再現されている。如庵とは、織田有楽斎の洗礼名から付けられたと言われている。
織田信長の弟、織田長益(有楽斎)による国宝の茶室。移築に移築を重ねて、ここ有楽苑に落ち着きました。外側からもわかるのは窓が多く、窓の位置が少しずつずれていて、また設えも変化を持たせていること。狭く作らざるを得ない茶室を少しでも広く見せようとした工夫なのでしょうか。にじり口の向かいの円窓が一番古い部分だそうです。お茶をいただけるのは昭和に作られた弘庵で、如庵は見学会でもない限り入室すら不可です。見学会でも飲食は不可です。
初めて国宝 如庵を訪れました。いとをかし ってこういう時使うんだなぁと思いました。大人¥1200 お茶付き¥1600だったので、最大限楽しもうと写真を何枚かアップします。水琴窟の録音はどうやってアップしたらいいのかわからないです。
国宝茶室如庵茶会の時のみ中に入ることができます。入苑者は外から眺めるだけですが趣のある茶室です。柿葺の端正な外観茶室の内部は二畳半台目でウロコ板を入れ斜めの壁「筋違いの囲」古暦を腰貼りにした「暦貼り」竹を詰め打ちにした「有楽窓」随所に独創的な工夫がこらされています。旧正伝院書院の縁側に「如庵」の模型があります。(2024/10)
如庵は有楽苑にある3つの茶室のうちの1つ。こちらの茶室が国宝と言うことで1番有名。苔がとても美しく丁寧に管理されているなと感心しました。
如庵は、旧正伝院書院で、織田有楽が建仁寺の塔頭正伝院を再興し、隠居所として建築したもので、昭和47年(1972)に如庵とともに現在地に移されました。 建物は、三方に縁をめぐらし、南面に細長い沓脱石を据え、主室の前に簡素な手摺をつけ、室と縁の境には腰高障子と舞良戸を立ていて、屋根は入母屋造で、銅板葺としていましたよ。豊臣家の滅亡の前に、大坂を退去し、京都で余生を過ごすことになった織田有楽(うらく)は、建仁寺正伝院を再興し、そこを隠居所と定め、建物は庫裏(くり)の北方に続く書院と、書院の東北に連なる数寄屋(如庵(じょあん))で有り明治41年(1908)、旧正伝院の建物は売却され、四散した。そのうち、如庵、書院、露地は東京の三井家へ引き取られた。昭和47年(1972)5月、再々度の移転により、犬山城下の有楽苑に移築され、この時、如庵勝手を書院の縁に直結させて、『都林泉名勝図会』の図によって南側縁の東半に手摺が復元されたそうで、書院は、三方に縁をめぐらし、南面に細長い沓脱石を据え、主室の前に簡素な手摺をつけ、室と縁の境には腰高障子と舞良戸を立てている。屋根は軽い起(むく)りをつけた銅板葺入母屋造で、主室は七畳に1間の出床を構え、西側に六畳の次の間を配していて、張付壁であるが長押はなく、鴨居または付鴨居が回る。襖と張付壁は山雪ほかの狩野派による墨絵が描かれ、室境の欄間も簡素な意匠の格子をつけたものであると言われていますよ。
行くまでの道のりに若干不安がありました。まさかホテルの敷地内?にあって、国宝なはずなのに、ホテル案内のがメインじゃないのか?って感じだったんです。
| 名前 |
如庵 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0568-61-4608 |
| 営業時間 |
[金土日月火木] 9:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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国宝の犬山城の近くにあるこちらも国宝の茶室。一部が解放されている。こちらの静かな雰囲気の庭園を散策しながらお茶をいただきました。