舞鶴市の歴史、三安神社の魅力。
三安神社の特徴
三安神社は元々、舞鶴海軍病院の鎮守社です。
戦後、米軍からの撤去命令を受けた神社です。
当時の宮司が遷座を決定した歴史を持っています。
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元は舞鶴海軍病院の鎮守社であったのが第二次世界大戦敗戦後に米軍から撤去を命令され、当時のこの神社の宮司さんが受け入れを決められて遷座されたものらしい。社頭の由緒書が詳しいのでそちらを参照のこと。
名前 |
三安神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0773-62-5462 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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三安神社(みやすじんじゃ)は京都府舞鶴市の東部。京都府舞鶴市森の白鳥通り沿いの住宅地にある彌加宜神社(大森神社)の境内社です。ご祭神天照大御神(あまてらすおおみかみ)境内は綺麗に整理されており、標石、案内板、鳥居、手水舎、灯篭、本殿などがあります。行水の旧舞鶴海軍病院の守護神として伊勢神宮から天照大御神の御霊を勧請し昭和18年5月に鎮座した神社でしたが、終戦後に大森神社の社内に移転しました。毎年10月に三安会等により秋祭りを執り行っております。以下は境内の案内板を転記「三安神社」三安神社は、旧舞鶴海軍病院の守護神として祀られた神社でありました。海軍病院が昭和17年北吸つつじが丘から行永への移転に伴って新病院構内東部の山上に伊勢神宮から天照皇大神の御霊代を勧請し、昭和16年5月27日の海軍記念日に鎮座祭をしました。同病院の移転拡張工事は昭和14年頃から始まり15年末与保呂川にかかる橋が完成した。当時の病院長芋川千秋海軍軍医少将は、「このはしを渡らむ人の身安かれ、心やすかれ、家も安かれ」の歌をつくり「三安橋」の橋名と共に橋柱に刻まれ、この「三安」の名が病院守護神の神社名となりました。三安神社は神明造りの社殿建立から2年余りで終戦となり、進駐してきた米軍は構内から神社の撤去を命じた。同社の鎮座に奉仕した宜神社の田中稜威夫宮司は「それなら我が社の境内にお移り願いましょう」と森行永の関係者に呼びかけ勤労奉仕と請負工事で「三安神社」を迎え入れました。旧海軍病院の神社が民間の神社で受けつがれ祀られているのは極めて珍しいことです。ところで三安神社は彌加宜の森に移転以来定まった例祭はなく、今日まで推移してきました。こうした中で元気です。南舞鶴の会と彌加宜神社田中國雄宮司及び大森神社奉賛会と協議し、協力を得て平成13年10月20日に三安神社の祭りを行い、以後毎年10月に秋祭りとして実施しています。祭りを営む中で、昭和18年の鎮座以来65年の歳月を経た社殿は著しく老朽しており、これに心をいためた関係者が社殿の改修を発起され浄財の寄進のもとで本年秋に大改修されました。平成18年10月吉日(2021/12/18撮影)