正岡子規の時代を体感。
子規庵の特徴
正岡子規が晩年を過ごした歴史的な地、台東区根岸の子規庵です。
異なる時代を感じさせる風情豊かな庭には、へちまや多彩な花々が咲いています。
子規が愛した本や未発表の句を鑑賞できる特別な空間が魅力的です。
建物や家財など復元したものですが、保存会の方がよく手入れされています。花ふじのお花も綺麗です。「坂の上の雲」ファン必見❗️
週末と水曜日にしか公開されていないので、旅程を合わせて訪問しましたボランティアの皆さまがとても気持ちよく、そして熱意あふれる対応をしてくださり、母ともども、とても嬉しく良い時間を過ごすことができました玄関には蚊遣り豚、お土産コーナーにはアクキーと、明治と令和が絶妙にミックスされた魅力ある場所です。
正岡子規が人生の晩年を過ごされた自宅です。戦争で焼失し、再建された建築です。坂の上の雲で幾度と無く見た景色がそこにはあって、特別な空間に感じられました。子規が当時描いた絵が絵ハガキにされて販売されており、とても味のある絵なので幾つか購入させていただきました。
正岡子規が晩年過ごした庵です。夏目漱石や河東碧梧桐、陸羯南、秋山真之など、子規の仲間が集ったであろうこの庵を訪れると当時に想いを馳せることができます。
正岡子規が晩年を過ごした地です。庵自体は空襲で焼けたため、昭和25年に再建されています。したがって庭も当時と異なりますが、子規が過ごした部屋の前にはヘチマが植えられています。展示物としては、子規の晩年の様子や交流があった人物の紹介があります。庵自体が広くはないためミニ展示といったところです。公開日が限られており、また12時~13時までは施設の休憩時間となりますので、ご注意ください。
コロナ禍のため休館が多く、やっと訪問することができました。正岡子規は明治27年に子規庵に移り住み、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。子規没後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけましたが老朽化と大正12年の関東大震災の影響により昭和元年に解体、旧材による重修工事を行っています。34歳の若さで亡くなっているんですね。
正岡子規が終の棲み家とした台東区根岸の子規庵に行きました。晩年彼はこの部屋のガラス窓から観る庭だけが彼の世界でした。糸瓜の句を詠み そして翌日亡くなりました。その部屋が今も現存するとは奇跡です。この書斎に時折高村虚子や夏目漱石が集ったとは感慨深いです。彼が足繁く通った近所の団子もいただきました。I went to Shikian in Negishi, Taito Ward, which was Masaoka Shiki's final home.
思い立ったのが、たまたま糸瓜忌近くだったため運良く見学できました。今現在の状況としては開いてる日は少なく、行かれる前には、必ずHPを確認して下さいとのことでした。ボランティアで運営されているスタッフさんはみなさん親切で、楽しいお話を聞けました。当時の子規さんの食事記録などもあり、こんなにバラエティ豊かな食を楽しんでいたのかと、驚きました。
慶応3年(1867)10月14日、伊予松山(現在の愛媛県松山市)に生まれた正岡子規(まさおか しき→本名:常規 つねのり1867-1902)の父は松山藩士 正岡常尚、母は藩の儒学者 大原観山(おおはら かんざん)の長女 八重、そして3歳下の妹 律(りつ)という家族構成でした。子規は22歳の時に肺結核、29歳の時に結核菌による脊椎(せきつい)カリエスと診断され、34歳11ヶ月で亡くなったそうです。都指定史跡の「子規庵(しきあん)」は、元々は旧加賀藩前田家下屋敷の侍長屋で、二軒続きの一軒であったといわれています。子規は明治27年2月、27歳の時に母 八重と妹 律と共にこの家に移り住み、34歳11ヶ月までの8年余りを病魔と闘いながら、亡くなる前日まで作品(俳句や短歌)を作り続けました。昭和20年(1945)4月の空襲で家屋は消失しましたが、門人等の尽力により昭和25年にほぼその当時のままの姿に再建され、現在に至っているそうです。今年(2022年)の6月、鎌倉の建長寺へ行った時に国宝の梵鐘(ぼんしょう)があり、その手前に「鐘つけば 銀杏(いちょう)ちるなり 建長寺」という夏目漱石の句が書かれた立看板があって、明治28年(1895)9月に作られたとあり… 親友の正岡子規は、この句を参考に「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」を作りました、という解説を読み、正岡子規の終の住み処(ついのすみか)となった「子規庵(しきあん)」を一度訪れてみたいと思っていました。2022年11/27(日)、上野の東京国立博物館で創立150周年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を拝観した後、徒歩🚶♀️で向かい、14:30頃「子規庵」に到着しました❗️子規庵の公開時間は10:30〜12:00と13:00〜16:00。入庵料は¥500で、中学生以下は無料です。最寄駅は鶯谷駅で、北口から徒歩約5分です。※経路検索して向かうと🚶♀️、ラブホ🏨街を通り抜けていくようなルートになります😅💦現在は新型コロナウイルスの影響により公開日を限定していて、感染状況によっては公開を中止することがあるようですので、子規庵のホームページで確認をしてから訪れたほうが良いです。10月に訪れた時はお休みしてまして😱💦、12/10(土)と11(日)に予定していた公開日は、感染者数が増加傾向にあることから、公開中止とのこと。訪れた日:11/27(日)が今年(2022年)最後の公開日とのことで、冬期は窓を開放して換気することが難しい為、次の公開日は来年(2023年)3月:春🌸以降になる予定ですとスタッフの方がおっしゃってました。庭には亡くなる前日に書いたという「絶筆三句」の句碑があって、句碑の上部に埋め込まれた銅版は大きさも筆跡も現物通りのものとのことで… 妹の律と門弟の河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)に助けられながら、かろうじて筆を持ち、咳をしながら、落ち着いた合間に少しずつ句を書き、書き上げたという当時の状況も解説されています。その日のうちに昏睡状態となり、翌日(明治35年9月19日)の午前1時頃に永遠の眠りについたそうです。それを読んでいると、子規が書いている時の状況が目に浮かんでくるようでした😱💦子規庵の出口🚪付近には正岡子規に関連した書籍📖や絵ハガキなどが販売されている建物があり、その近くでホットココアのサービスをいただき、帰りがけに「ありがとうございましたm(_ _)m また来年の3月以降にいらして下さい」と丁寧なお言葉をいただき、とても心地好い気持ちで子規庵を後にしました❗️✨😆👍子規庵の向かいには「書道博物館」という施設がありますので、書に興味がある方は、子規庵とセットで訪れてみるのも良いかもしれませんね❗️
| 名前 |
子規庵 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
03-3876-8218 |
| 営業時間 |
[日水土] 10:30~12:00,13:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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JR鶯谷駅から徒歩約5分。明治時代の俳人・歌人である正岡子規が亡くなるまでの約8年半を過ごした旧居です。元は旧前田侯の下屋敷の御家人用二軒長屋といわれています。明治27年子規はこの地に移り、病室兼書斎と句会歌会の場として使用しました。子規没後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけています。その後、空襲により焼失。現在の子規庵は、昭和25年に再建されたもの。見どころは、子規が「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」と呼んだ病室兼書斎や、庭にある糸瓜(へちま)棚。開庵は水・土・日・祝日が主。8月・12月〜1月は休み、特別公開などもあるので、事前に公開日をチェックすることをお勧めします。