子規庵で感じる、時を超えた静寂。
子規庵保存会(一財)の特徴
正岡子規が晩年を過ごした歴史的な地、台東区根岸の子規庵です。
異なる時代を感じさせる風情豊かな庭には、へちまや多彩な花々が咲いています。
子規が愛した本や未発表の句を鑑賞できる特別な空間が魅力的です。
コロナ禍のため休館が多く、やっと訪問することができました。正岡子規は明治27年に子規庵に移り住み、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。子規没後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけましたが老朽化と大正12年の関東大震災の影響により昭和元年に解体、旧材による重修工事を行っています。34歳の若さで亡くなっているんですね。
正岡子規が終の棲み家とした台東区根岸の子規庵に行きました。晩年彼はこの部屋のガラス窓から観る庭だけが彼の世界でした。糸瓜の句を詠み そして翌日亡くなりました。その部屋が今も現存するとは奇跡です。この書斎に時折高村虚子や夏目漱石が集ったとは感慨深いです。彼が足繁く通った近所の団子もいただきました。I went to Shikian in Negishi, Taito Ward, which was Masaoka Shiki's final home.
思い立ったのが、たまたま糸瓜忌近くだったため運良く見学できました。今現在の状況としては開いてる日は少なく、行かれる前には、必ずHPを確認して下さいとのことでした。ボランティアで運営されているスタッフさんはみなさん親切で、楽しいお話を聞けました。当時の子規さんの食事記録などもあり、こんなにバラエティ豊かな食を楽しんでいたのかと、驚きました。
慶応3年(1867)10月14日、伊予松山(現在の愛媛県松山市)に生まれた正岡子規(まさおか しき→本名:常規 つねのり1867-1902)の父は松山藩士 正岡常尚、母は藩の儒学者 大原観山(おおはら かんざん)の長女 八重、そして3歳下の妹 律(りつ)という家族構成でした。子規は22歳の時に肺結核、29歳の時に結核菌による脊椎(せきつい)カリエスと診断され、34歳11ヶ月で亡くなったそうです。都指定史跡の「子規庵(しきあん)」は、元々は旧加賀藩前田家下屋敷の侍長屋で、二軒続きの一軒であったといわれています。子規は明治27年2月、27歳の時に母 八重と妹 律と共にこの家に移り住み、34歳11ヶ月までの8年余りを病魔と闘いながら、亡くなる前日まで作品(俳句や短歌)を作り続けました。昭和20年(1945)4月の空襲で家屋は消失しましたが、門人等の尽力により昭和25年にほぼその当時のままの姿に再建され、現在に至っているそうです。今年(2022年)の6月、鎌倉の建長寺へ行った時に国宝の梵鐘(ぼんしょう)があり、その手前に「鐘つけば 銀杏(いちょう)ちるなり 建長寺」という夏目漱石の句が書かれた立看板があって、明治28年(1895)9月に作られたとあり… 親友の正岡子規は、この句を参考に「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」を作りました、という解説を読み、正岡子規の終の住み処(ついのすみか)となった「子規庵(しきあん)」を一度訪れてみたいと思っていました。2022年11/27(日)、上野の東京国立博物館で創立150周年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を拝観した後、徒歩🚶♀️で向かい、14:30頃「子規庵」に到着しました❗️子規庵の公開時間は10:30〜12:00と13:00〜16:00。入庵料は¥500で、中学生以下は無料です。最寄駅は鶯谷駅で、北口から徒歩約5分です。※経路検索して向かうと🚶♀️、ラブホ🏨街を通り抜けていくようなルートになります😅💦現在は新型コロナウイルスの影響により公開日を限定していて、感染状況によっては公開を中止することがあるようですので、子規庵のホームページで確認をしてから訪れたほうが良いです。10月に訪れた時はお休みしてまして😱💦、12/10(土)と11(日)に予定していた公開日は、感染者数が増加傾向にあることから、公開中止とのこと。訪れた日:11/27(日)が今年(2022年)最後の公開日とのことで、冬期は窓を開放して換気することが難しい為、次の公開日は来年(2023年)3月:春🌸以降になる予定ですとスタッフの方がおっしゃってました。庭には亡くなる前日に書いたという「絶筆三句」の句碑があって、句碑の上部に埋め込まれた銅版は大きさも筆跡も現物通りのものとのことで… 妹の律と門弟の河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)に助けられながら、かろうじて筆を持ち、咳をしながら、落ち着いた合間に少しずつ句を書き、書き上げたという当時の状況も解説されています。その日のうちに昏睡状態となり、翌日(明治35年9月19日)の午前1時頃に永遠の眠りについたそうです。それを読んでいると、子規が書いている時の状況が目に浮かんでくるようでした😱💦子規庵の出口🚪付近には正岡子規に関連した書籍📖や絵ハガキなどが販売されている建物があり、その近くでホットココアのサービスをいただき、帰りがけに「ありがとうございましたm(_ _)m また来年の3月以降にいらして下さい」と丁寧なお言葉をいただき、とても心地好い気持ちで子規庵を後にしました❗️✨😆👍子規庵の向かいには「書道博物館」という施設がありますので、書に興味がある方は、子規庵とセットで訪れてみるのも良いかもしれませんね❗️
子規庵。日本の写実俳句の祖、正岡子規が過ごした家です。こちらの庭で病牀六尺や、歌よみに与ふる書、などが世に出ました。
子規庵です。2017年10月の写真です。JR鶯谷駅のピンク街を通り過ぎ、閑静な住宅エリアにあり.YAMADAの住んでいる兵庫県伊丹市の関係でいえば、子規没後の正岡家が描かれる後日談的な作品に司馬遼太郎『ひとびとの跫音』があります。子規妹の律は、叔父・加藤恒忠の三男・忠三郎を養子として正岡家を継がせた。正岡忠三郎さん(故人)のご自宅が●伊丹市にあり(今、正岡家は他の都市へ)司馬遼太郎先生が、山田の知り合いの本屋さんに「このあたりに正岡家はございますか」と聴きにこられたそうです。
雨の日曜日、早い時間だったので一人でゆっくり見れると思ってたが、先客あり、後から訪れるお客さんもいて混んでいた。愛されているのを感じました。作りは古い日本家屋でそこから見える雨に濡れた緑とへちまの棚…色々物思いに耽れそうな雰囲気です。
正岡子規が住んでいた状態をそのままに残してあり庭にはへちまや沢山の花が咲いておりゆったりと当時を偲びました☺子規の書物もいろいろあって仰臥漫録を買いました🎵
月曜はお休みとのことです。お昼休みもありますから、開いてる時間を確かめて行きましょう。そうしないと私みたいになります。NHKの特別ドラマだった坂の上の雲に、主人公の一人として登場した正岡子規。この庵で家族と団らんし、句会を開き、病と戦った日々が描かれてました。500円払って中に入ってみたかったです。
名前 |
子規庵保存会(一財) |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3876-8218 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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正岡子規が晩年を過ごした地です。庵自体は空襲で焼けたため、昭和25年に再建されています。したがって庭も当時と異なりますが、子規が過ごした部屋の前にはヘチマが植えられています。展示物としては、子規の晩年の様子や交流があった人物の紹介があります。庵自体が広くはないためミニ展示といったところです。公開日が限られており、また12時~13時までは施設の休憩時間となりますので、ご注意ください。