歴史深い飛騨の処刑場跡。
大昔の刑場あと。郷土史を読んでいたらこの場所の記述があり、ちょうどこの碑の前辺りが斬首場所だったようです。万人の由来は万人の首をはねたわけではなく、飢餓か災害で多くの人が亡くなりここに埋め、その例えから来たそうです。この碑の横から越中街道の一部が現存しています。
名前 |
桐生町万人講 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0577-35-3156 |
住所 |
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HP |
https://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000021/1000119/1000847/1000954/1000975.html |
評価 |
4.5 |
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飛騨地域唯一の処刑場跡😱元々は、延宝3年(1675年)に凶作で餓死者が数千人も出て亡くなった人をこの近くの川原に穴を掘って埋めた事に始まるという。他にも、飛騨の歴史で有名な、大原騒動の時も処刑もここで、行われたんだとか…あとは、おろくと言われる、若い女性が大工久兵衛と密通していたところ、何かの遺恨で久兵衛の宅へ放火し、その罪で市中引き回しの上、処刑されたそうです。このように、多くの人が処刑された場所ですが、串柿仙人という八軒町出身の人が、200年くらい前にこの辺りに住み、万人講の前の道を通る人達にお茶を振る舞いながら、処刑囚に引導を渡し、供養していたんだとか。南無阿弥陀…🙏