中世の栄華を今に、復元された遺跡庭園。
大内氏館跡・池泉庭園(2号庭園)の特徴
大内氏が築いた1400年代後半の庭園で、歴史を感じることができます。
遺跡調査に基づき復元され、保存が進められた貴重なスポットです。
中世の周防山口を拠点にした大内氏の足跡を辿ることができる場所です。
凄く期待していたんですけど、期待しすぎていた私も悪かったのかもしれませんが、池の中に少し藻が発生していて、少し池が汚れていました。雰囲気や造りは良いと思います。この池泉庭園は、2011年に復元整備されました。中央部に南北約40メートル。東西約20メートルにも及ぶ、大きな池であります。2011年は最近ですが、実は昔からある池泉庭園で、15世紀の終わり頃に作造されたらしいです。
遺跡調査に基づき復元されたものです。中島がある大きな池です。
発掘、保存が進められています。ここに大内氏の屋敷があり美しい庭園があったのかと大内氏の栄華を感じることができます。
大内氏が山口に居館を構え政務をとっていた1400年代後半に作庭され、1500年代半ば大内氏の滅亡とともに荒れ果ててしまった庭園を復元したものです。ひょうたん型の池の中に中島が浮かぶお庭です。
中世の周防山口を拠点として活躍した大内氏の館は、山口市大殿大路の地にありました。大内氏が領国経営を行う守護所としての政治的拠点であり、経済・文化の中心でもありました。昭和三十四年(1959)、館跡は大内氏遺跡のひとつとして国の史跡に指定され、昭和五十三年(1978)から発掘調査が行われています。館跡では、室町時代に作られた庭園の跡が少なくとも三か所で確認されています。現存する中世庭園は、後世の改修によって元の姿を留めない例が多いのに対し、大内氏館跡のような発掘庭園は、当時の庭園様式をうかがい知ることができ、きわめて重要です。史跡指定地の南東部に位置する池泉庭園(2号庭園)は、館内の庭園遺構としては最大 規模を誇り、平成四・五年度(1992-3)の第13・14発掘調査で発見され、平成十八年度(2006) に再発掘されました。【調査の概要】1400年代おわり頃に作庭され、ニ度以上にわたる改修を経た後、大内氏が滅亡する1500年代中頃に廃絶したことが分かっています。南北39m、東西20m(約 490m²)で、ヒョウタン形の池の中ほどに中島が浮かび、東岸の石組水路から導水していました。排水施設や池底の防水施設は発見されていません。池の西岸が直線的となることから、庭園を眺める会所などの建物が存在したのかもしれません。また、南東岸で発見された石基礎建物は、池泉庭園の改修時に建てられており、庭を鑑賞する施設のひとつだった可能性があります。池泉の南西岸で発見された石組井戸からは、金箔を貼った京都系土師器皿が出土しました。【整備の概要】発掘された遺構を埋め戻した後に嵩上げをし、水を湛えた庭園として復元整備しました。整備対象としたのは、1500年代前半〜中頃の様子です。(令和二年11月30日)
名前 |
大内氏館跡・池泉庭園(2号庭園) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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經過修復後的遺跡庭園。