寺坂農道と吉右衛門、歴史の交差点!
寺坂吉右衛門縁由乃地の特徴
墓への道中に寺坂農道看板が存在し便利です。
地域の人々が吉右衛門への関心を示しています。
寺坂吉右衛門が益田市と深い関りを持っています。
墓までの途中に「寺坂農道」なる通りの看板があり、地域内での「吉右衛門」への関心があるような気がしました。現地は、「吉右衛門の略伝」の記載看板が立てられていました。「位置表示杭」も新しく、最近、整備されたように見えました。江津市黒松駅のそばにある「寺坂の信行庵」の関係にも触れており、案内板から推測すれば、吉右衛門は浄土真宗の僧になったようです。なお、見学当日には石碑には近隣、三隅・日本海酒造のワンカップ酒が供えてありました。そもそも「吉右衛門」には、全国に七つの墓があると云いますが、「討ち入り」前後の吉右衛門の行動にもいくつかの説があます。NHKでも真相究明の番組制作をしたほどですが、確定できる証拠がないのが実情です。映画「最後の忠臣蔵」の「瀬尾孫左衛門の話し」や討ち入り失敗時の米沢藩逃亡通路「板谷峠の待ち伏せ作戦」の大野九郎兵衛への本懐報告などの諸説があり、吉右衛門にまつわる説には飽きません。
| 名前 |
寺坂吉右衛門縁由乃地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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寺坂吉右衛門がなぜ益田市にゆかりがあるのか?以前忠臣蔵について色々調べていたら、益田市に寺坂吉右衛門のゆかりの地があることを知った。今まで全く知らなかった。寺坂吉右衛門は吉良邸に討ち入りした赤穂浪士の一人である。討ち入り後泉岳寺に引き上げる途中一行から離れ行方をくらまし全国を回ったとされる。ただ一人生き残った人物。その理由ははっきりしない。各地を巡る中でここ石見地方にも立ち寄り、益田市遠田に仏教を広めるため信行庵を構えたとされる。ここには寺坂吉右衛門の墓がある。寺坂の遺言によりここに分骨されたという。全国には寺坂吉右衛門の墓やゆかりの地とされる場所がいくつもある。寺坂の晩年は東京麻布の曹渓寺で寺男としてその生涯を閉じている。享年83歳であった。曹渓寺には寺坂の墓がある。国道9号線沿いの益田医師会病院の先をわき道に入ったところにその場所はあった。道路わきに寺坂吉右衛門所縁乃地と書かれた標柱があり、すぐ後ろに説明板が建っている。そこから少し上がったところに寺坂吉右衛門の墓があった。ここが寺坂吉右衛門ゆかりの地であった。赤穂浪士の一人が益田市と縁があったとは何か感慨深いものを感じた。忠臣蔵ゆかりの地といってもいい。