平清盛公の御廟で感無量。
平相國廟(平清盛墓所)の特徴
立派な石塔は平清盛公の記念碑である。
兵庫大仏がこちらで拝める特別な場所。
平安末期に造立された歴史的な墓所である。
平清盛の墓標。
こちらで兵庫大仏が拝めます。場所はJR兵庫駅と神戸駅の真ん中あたり。大仏と言ってもビルに隠れて近くに来るまでよく見えません。なので町中を散策していると突然、大仏が現れます。また清盛のお墓にもお参りできます。
映画を極めた平清盛公の御廟がこれとは哀しくよっぽど源氏は、平家を危険視していたということかとは言え、感無量です。
清盛公にご挨拶しておきました。
平清盛公墓所八棟寺殿 平相国廟平安の末期、養和元年(1181)、平清盛公の薨去によって能福寺の寺領内にあった太平山八棟寺に公の墓所・平相国廟が造立されたと云う。しかし平家滅亡と同時にことごとく破壊され、能福寺を灰燼に帰した。以後廟は再建されることなく、その存在すら忘れ去られていた。百余年後の弘安九年(1286)二月、平家一門の栄枯盛衰を哀れんだ時の執権・北条貞時公は、その近くに一基の石塔を建て、清盛公の霊を弔った、と能福寺の古文書に見える。現在に伝わる清盛塚十三重塔(県指定重文)がそれである。今、諸々の古記録文献には「京・愛宕山にて火葬荼毘に付し圓實法眼全骨を福原に持ち来り経ヶ島に納め…」(又は)「大輪田の法華堂に納め…」(又は)「能福寺の東北に埋骨…」云々とあるところから、遷都をも決断したほど兵庫の地を愛した清盛公の遺言に依り全骨を福原に持ち帰ったことが史実ならば、歴史上、真の墓は、かつて平安末期、能福寺寺領内にあった平相国廟と考えられる。奇しくも本年清盛公の八百回大遠忌を迎えるにあたり、平家物語類書にも有名な平相国廟を建立復興し、併せて圓實法眼法篋印塔、忠快法印塔を合祠した。現在わが国最大の国際貿易港として、繁栄せる神戸港湾の基礎を造った根元としての平清盛公に対して今、報恩謝徳の意を込めて、ここに安らかにお眠りになる廟を造り奉る。願わくば日本の国土と民衆を兵庫県民を神戸市民を守護したまえ昭和五十五年 能福寺 第二十四世貫主 弘善 識。
名前 |
平相國廟(平清盛墓所) |
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ジャンル |
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電話番号 |
078-652-1715 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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とても立派な石塔ですが、実際はお墓と言うより記念碑に近いもののようです。平家滅亡の際に清盛公のお墓は破壊され、100年近く忘れ去られた状態が続いていたとのこと。それを哀れんだ時の執権・北条貞時公がこの石塔を建てて清盛公の霊を弔ったそうです。とは言え800年近く前の石塔ですし、故人を偲ぶ大事な価値あるものだと思われます。