住道駅からの歴史探訪!
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江戸時代、大阪府下では多数の新田が開発されたがここもそのひとつ。しかし訪れても会所跡の建物は何ひとつない。あるのは説明の案内版と区画整理された跡の礎石ぐらい。宅地開発で完全埋没されかねないギリギリなところを管理者は守ってくれた。敷地の一角だけでも残った。それだけでも救いだ。
名前 |
平野屋新田会所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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◽アクセス①JR東西線・学研都市線 住道駅. 徒歩(20分)またはレンタサイクルにて◽平野屋新田会所 概要▪平野屋新田会所は、文献等から18世紀. 前半の新田開発の当初段階で既に存在. していたと推定されています。▪約100年の間に所有者が3回変わりまし. したが、1823(文政6)年に 「銭屋(高松). 長左衛門」に移った後は 2008(平成20). 年 まで所有者は変わりませんでした。▪このため、地元では平野屋新田会所を. 「高松会所」 と呼んでいました。◽深野池の開発▪深野池の開発は約9年かかって行われ、. いくつもの新田が誕生しました。▪そのうち深野南新田(現在の谷川、深. 野南、平野屋、南新田) は東本願寺難. 波別院が開発しました。▪1719(享保4)年の再検地時には「平野屋. 又右衛門」の所有となっていました。. 「平野屋」の地名はこれに由来している. とのことです。