島津歳久公ゆかりの平松神社。
平松神社(心岳寺跡)の特徴
島津歳久公が最期を迎えた歴史深い神社です。
令和年には参拝御朱印もいただける特別な場所です。
島津四兄弟にまつわる貴重な歴史を感じられます。
島津歳久公が最後自害したと云われる場所。後に弔う為兄の義久公により寺院が創建されたが廃仏毀釈によりその寺院が取り壊されその後あと地に平松神社が建立されたそうです。境内にには歳久公や殉死者のお墓も有り厳粛な雰囲気で何か怖い気もします。車だと駐車場が無いので道路脇の駐車帯に停めさせてもらうしかないです。それと踏切を渡ることになりますが遮断機や警報器がないので注意が必要です。
島津歳久公を祀られた、平松神社へ参拝しました。島津4兄弟の3男にあたる歳久公は、他3兄弟と比べ、遺された記録は少ないのと事です。ですが、地元の方からは「戦の神」「安産の神」として、崇められています。歳久公は、主に薩摩平定の際に活躍しています。薩摩、大隅、日向を攻略し、兵站含め後方をまとめています。その後、豊臣秀吉の島津討伐により大軍で攻められた際に、徹底抗戦を主張していました。更に講和により、薩摩を訪れていた秀吉に弓を引いている。この事の遠因により、秀吉から、兄である義久へ、歳久の首をはねよと命じられる事になる。歳久公は、「島津安泰のために命を絶つ」と遺書を残し、家中の混乱の終息へと捧げました。歳久公は、病であったため、刃による自害が難しかったため、傍らの岩で割腹しようとした際、「これは女のお産と同じ苦しみだ。死後はそういった苦しみを救ってやろう」と、語ったとされており、「戦の神」であると同時に「安産の神」として祀られています。このエピソードは本当に胸を打ちます。哀しい非業の生涯を生きた、歳久公に思いを馳せ、心静かに参拝しました。
♥の形の岩があります。10号線沿いの交通量多い時は駐車スペースが限られているのですでに運が試されてます♪いろんな年代の方々がJRの線路を安全確認して渡り急な階段もありますが小さいお子様からご年配の方もお参りされます。一度勇気出して参拝されたら二度三度通ってしまう魅力ある平松神社ですよ。
鹿児島市吉野町にある平松神社(心岳寺跡)。この神社は海岸線を行く日豊線と国道10号線沿いにあって、鳥居をくぐるには先ず線路を跨ぐことになります。たまたま宮司さんがおられて色々とお話しを聞くことが出来ました。豊臣秀吉の薩摩侵攻に最後まで抵抗し自害した島津歳久を弔う為に創建された心岳寺でしたが、廃仏毀釈によって廃寺になり、平松神社が建立されたのだそうです。とても穏やかな気持ちになる場所でした。
心岳寺仮乗降場跡から歩いて10分前後で、心岳寺詣りの目的地心岳寺跡(平松神社)に到着します。踏切を列車に注意しながら渡り、鳥居をくぐり階段を上ると森の中に鎮座されているお社にお参りです。私が訪れた時には宮司さんはご不在でお話を聞くことは出来ませんでしたが、綺麗に手入れされている境内を見れば今も大事に、島津歳久公をお守りしていることがわかると思います。お社の裏手には、この地で自害された歳久公のお墓と最後まで一緒に戦った家臣達の墓所。その菩提を代々守ってきた心岳寺歴代僧侶のお墓も共にあります。境内から重富方を望むと、歳久公のご遺体が清められた御石山の付近を見ることも出来ます。(なぜ歳久公が自害に至ることになったのかは、御石山の項で説明致します)
2021年7月 オーシャンビュー出来る神社です。神社の下の国道10号線沿いのスペースに2.3台車を停めれます。宮司さんがひとりできりもりしています。とてもお話し好きな宮司さんがいろいろまめ情報を教えてくれます。少し時間に余裕がを持って行くと宮司さんと楽しくお話し出来ます。
島津歳久公が最期を迎えた地。秀吉の死後に長兄義久公が建てた【心岳寺】が元になった神社。近くに駐車場はなく、かつ幹線道路沿いなので車で行くには要注意。また日豊本線をまたぐので電車にも要注意。
Google mapの航空写真を見ても道が見当たりません。実際に訪れてみると線路を越えなければいけないようです。山越えの道を踏破するイベントもあるようですが…境内はなんとなく怖い雰囲気があります。やはり御祭神 島津歳久公が豊臣秀吉に自害させられた方だからでしょうか…ところで九州には南北朝時代以降の方を御祭神としてお祀りする神社が多いような気がしますが、鹿児島県は特にそれが顕著だと思います。主な例としては谷山神社 御祭神 懐良親王殿下竹田神社 御祭神 島津忠良公松原神社 御祭神 島津貴久公忠元神社 御祭神 新納忠元公徳重神社 御祭神 島津義弘公精矛神社 御祭神 島津義弘公鬼丸神社 御祭神 禰寝重長公大石神社 御祭神 島津歳久公栖林神社 御祭神 種子島久基公照國神社 御祭神 島津斉彬公南洲神社 御祭神 西郷隆盛公 (以上誕生順)といったところです。
島津四兄弟の三男の歳久の自害に追い込まれた場所にある神社。もとは心岳寺という寺でしたが、廃仏毀釈に合い今は神社。軍師として著名だった歳久の勝負運にあやかろうと戦に出る前に詣でる人や安産祈願の人が多く、かつては入り口付近に臨時駅ができるほどでした。今もきれいに掃除されています。
| 名前 |
平松神社(心岳寺跡) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
平松神社現地案内板によると、天正20年(1592)この地で自刃した島津歳久を弔うために当主義久により慶長4年(1599)心岳寺を創建。明治になり廃仏毀釈により廃寺、平松神社建立。往時は「心岳寺詣り」の参拝者でにぎわった。歳久自刃の地と聞いていて今回訪問。島津家とつながりのある気さくな宮司さんに貴重な話を聞けました。秀吉の島津征討において、当初、歳久は秀吉に服従する考えだったが、薩摩の地に侵攻された後は最後まで屈せず、義久は秀吉より歳久の首を差し出せの命を受けた。義久から追われた歳久は体がふじゅうで舟からこの地に上陸し家臣とともに自刃。首は秀吉の命により京都に晒されたが島津により京都に埋葬された。胴体は鹿児島の地に埋葬。江戸期になり首、胴体をこの地に埋葬。西郷さんも熊本出陣時この地に詣でたようです。神社周辺は宮司さんにより綺麗に整備され錦江湾、霧島、桜島の眺めが素晴らしい。踏切、遮断機のない線路を横断するので列車に注意してください。