歴史深い益田親施公の神社で、時を超えた感動を感じよ...
益田親施公が祀られているここに、歴史上には存在しない、元治三年、元治四年を見に来ました。鳥居には元治三年、灯籠には元治四年と刻まれていました。これは、長州藩にしかない年号です。福原元僴公が祀られている宇部の護国神社の禁門の変の殉国戦士之碑の裏の墓石にも、元治三年と刻まれているお墓がありました。国司親相公ゆかりの奥万倉の美登里神社や天龍寺、屋敷跡などにも、探しに行ってみようと思います。
名前 |
笠松神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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益田家33代領主 親施(ちかのぶ)を祀っている神社です。益田親施は、元治元年(1864年)福原元僴、国司親相とともに兵を率いて京都に上りましたが、禁門の変(蛤御門の変)で敗退しました。朝廷、幕府に刃向かったとして窮地にたたされた長州藩を、益田、福原、国司の三家老は自刃というかたちで責任を負い、救いました。境内の鳥居や灯籠に、実際には存在しない元治3年や4年(一般的には慶応2年、3年)の年号があるのは、徳川慶喜に通じる慶応の年号をさける反骨精神なんだそうです。