杭瀬川の戦いの地、歴史の息吹。
杭瀬川の戦い 古戦場跡の特徴
岐阜県大垣市の杭瀬川で行なわれた古戦場跡です。
関ヶ原の前哨戦に位置する歴史的な場所です。
小さな解説看板があり戦の説明が記されています。
小さな解説看板と神社がありますが他には目立つものはありません大垣城も見えません。
杭瀬川の戦い東軍の総大将である徳川家康が美濃赤坂に軍を率いて到着しました。このため、西軍の中で動揺が起こり、一部の兵士の中には逃亡する者も現れました。事態を憂慮した石田三成の家老・島清興は戦勝による士気の回復を進言。東軍に奇襲攻撃をかけることにしました。島清興はこの中に一隊を伏せて伏兵とし、残る部隊で対岸へ渡り、東軍の中村一栄隊の前で苅田を始めました。この挑発に中村一栄隊の将士が乗って小競り合いが始まり、まもなく有馬豊氏隊も参加して乱戦となりました。島清興はある程度戦うと、敗れた風を装って退却をはじめ、両隊を釣り出す事に成功。追撃した中村・有馬隊は伏兵の横撃を受けて壊乱状態に陥り、さらに宇喜多家の明石全登が参戦して両隊は被害を受けて敗走。このとき、中村家の家老・野一色助義が戦死するなど、40人ほどが西軍によって討ち取られたといいます。 前哨戦は西軍の勝利に終わり、9月15日の関ヶ原本戦に向かっていくことになります。 戦闘場所については川筋は変化するため渡河場所などは特定されておらず、古戦場という扱いはされていません。
川の流れの変化もあって、正確な史跡の位置は特定できていないようです。
関ケ原の戦いの前哨戦。見晴らしは良く、JRの列車の音が響き渡ってます。堤防の道の狭く、車もよく通ります。一番狭いところは、車が通ると人はぎりきりまで端に寄らないと危ないです。車は日吉神社の駐車場に止めておいたほうが無難です。
関ヶ原の前哨戦、杭瀬川の戦いの説明文があります。正確な古戦場の場所は分かっていないとの事。車を少しだけ停める分には問題無し。すぐ下にある日吉神社の駐車場に停めるのも可。
関ヶ原の前哨戦杭瀬川の戦いのあと。説明板があるけど場所は特定できてなくてなんとなくここに置いてあるってさ。
まあ当然古戦場跡なので何もありません。
関ヶ原合戦の前哨戦があった所。
杭瀬川の戦い(くいせがわのたたかい)は、慶長5年9月14日(1600年10月20日)に行なわれた戦い。関ヶ原の戦いの前哨戦にあたり、東軍の総大将である徳川家康が美濃赤坂(現在の岐阜県大垣市赤坂町字勝山にある安楽寺)に軍を率いて到着した。このため、西軍の中で動揺が起こり、一部の兵士の中には逃亡する者も現れた。事態を憂慮した石田三成の家老・島清興は戦勝による士気の回復を進言。東軍に奇襲攻撃をかけることにした。この戦いは局地戦であったが、西軍が勝利した。戦闘場所については川筋は変化するため渡河場所などは特定されていない。
名前 |
杭瀬川の戦い 古戦場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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看板があるだけで特に何もありません。川が変化していて、どこかは正確には分からないらしいです。土手をのんびり歩いて周るのはいいかもしれません。車は堤防下に停められる場所があります。畑とヘラブナ釣りをする人達が停めています。