信長の夢、幻の天主を訪ねて。
天主台跡の特徴
安土城天主台跡は、信長が執務した特異な戦国の建物です。
天主台の石垣は当時のまま残っており、存在感があります。
石垣に囲まれた礎石群は、心柱が見つからない謎を秘めています。
日本初と言われている天守閣を持つお城。信長の想いが込められている城趾を散策し、天守閣跡から景色を眺めると殿にでもなった気がします。信長はこの景色を眺め何を思ったのか。
石垣に囲まれた東西、南北それぞれ約28mの台地が天主台の跡。今は礎石が1.2mおきに並んでいるだけ。
僅か3年程しか存在しなかった幻の『天下布武の城』です。建造物がない方が、かえって想像力が湧き立ちますね。まさに歴史ロマンです。
信長の夢の跡、といったところでしょうか。城の建物は一切残っていませんが、琵琶湖を眺めていると、400年以上前の信長も同じように眺めていたのかと想像が膨らみます。
他の城とは違い安土城のみ「天守」ではなく「天主」と表記したのがいかにも信長らしい。見渡してみてやはり興味深いのは中央に礎石がないこと。整然と縦横に並べられた礎石は全て現存しているのに中央部分だけ礎石がないのはやはり意図したものがあるのだろう。発掘調査で中央には1メートルほどの穴がありその中から木炭が見つかったと解説があったので、太い心柱を1メートルほど掘った穴に立てて城の軸にしたのかなぁと信長の構想を想像しながら見学してきました。礎石にも焼けた柱の跡や火災で色が変わっている部分がそのまま残っているのでぜひ見てほしい。
安土城は天守ではなく天主2023年5月上旬に行きました。安土山の山頂にあたり、こちらに高さ33mで、5重6階、地下1階の天主があったとのこと昭和15年の調査まで厚い堆積土で覆われていたのですが、現在は整備され石垣と礎石が残り、歴史のロマンに浸れます。
本能寺の変のあと、完成から僅か3年で燃えてなくなってしまった信長の夢の跡です…。とにかく登りがきつくて苔で滑るので、スニーカーなどしっかりした靴がないと転ぶ危険性があります。実際に転んでる人が多数いました。運動不足や足腰の強くない人は料金所のところで木の杖を借りた方が無難です。
天守台の石垣は当時のままの物です。長い長い時間を生き抜いて歴史を見てきた石垣です。それだけでも感動しました。天守閣を石垣の上に建てたのは安土城が日本初です。それを可能にしたのは「安濃州」と呼ばれる石工集団の「算木積み」と言う技術によるものです。この丈夫な石垣を作った安濃州は令和の今も「古式和風庭園」の建築会社として続いています。彦根城や竹田城など名だたる城の城壁を作っています。建物はなくとも、戦国時代に日本にはすでに優れた建築技術があったことが解る貴重な遺跡です。なお、2023年の10月は天守台の看板付近にスズメバチが大量発生していました。見学の際はご注意ください。
☆国内城郭で安土城の「天守」だけは『天主』と表記、天の主(あるじ)は他の城とは違う存在、織田信長自身が天主に住居し執務した珍しい戦国武将🐎近世城郭への分岐点、城郭を総石垣造りとした先駆け、天主台は変則の「不等辺七角形」、そこに穴蔵を備えた外観五重内部六階地下一階の望楼型、天主高さは約32m、これを1576~1579年に築城し完成、そして完成3年後の1582年には炎上焼失、標高199m安土山の山頂に聳え建っていた『幻の城』🏯石垣に囲まれた約28m四方の天主台礎石群は東西10列・南北10列、計101個の礎石が整然と並んでます、中心にあるはずの心柱は見つかってません、周りの石垣に腰掛けて天主礎石群を眺めて物思いに耽るのも楽しい時間です😄
| 名前 |
天主台跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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天主台跡は、安土城跡の最高所に築かれた天主の基壇で、天下統一を目指した織田信長の象徴ともいえる場所です。1579年(天正7年)に完成した安土城天主は、高さ約32メートル、天主台を含めると約46メートルに達したと推定され、日本で初めて本格的な天主を備えた城と評価されています。外観は五重七階、内部は地上6階・地下1階という独創的な構造で、金箔瓦や極彩色の障壁画で豪華に飾られ、従来の城郭観を大きく塗り替えました。天主台には巨大な自然石を巧みに組み合わせた高石垣が築かれ、中心部には天主を支えた礎石が現在も残っています。発掘調査では柱を据えた礎石や建物の構造が確認され、当時としては極めて高度な石垣技術と建築技術が用いられていたことが明らかになっています。天主は防御施設であると同時に、諸大名や宣教師を迎える迎賓空間としての役割も果たし、昼は金箔瓦が陽光を受けて輝き、夜は篝火や松明に照らされて幻想的な姿を見せたと伝えられています。信長が目指した新しい時代を象徴する壮大な演出だったのでしょう。1582年の本能寺の変の後、安土城は焼失し、壮麗な天主もわずか数年で姿を消しました。現在は石垣と天主台だけが静かに残されていますが、その規模と眺望は今なお圧倒的です。眼下には琵琶湖や近江平野が広がり、信長がこの場所から天下統一の構想を描いていたことを実感できます。失われた名城の壮大さと戦国ロマンを最も強く感じられる、安土城最大の見どころといえるでしょう。