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名前 |
金刀比羅宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
草戸町大字半坂小字八衛谷にある。以前は現在の地より南方約50Mの山裾にあり、約三間張りの茅葺(かやぶき)の社であったが昭和中期頃、山が削られ現在地に移された。昔は鞆・田尻等各地の漁師や船乗りが多数参拝していた。本宮の縁起などについては長和の正光寺の焼失により不明。然し宮守が近藤家などから推察するに、讃岐木田郡元山村より近藤左衛門尉が永和三年(1377年)草戸城に来た時、讃岐金刀比羅宮より分祀されたものと思われる。また、この講中が讃岐金比羅宮に奉納された絵馬は明治三十三年(1900年)九月奉納のもので備後草戸村金比羅宮講舎の人達が遭難した様子を図柄にしたもので次の様に書かれている。七月六日午後九時簑島沖に大風俄に起り十里ばかり漂流し、怒濤船を打ち起え、船はまさに沈没せんとす、銘々の者は木椀をもって水を汲み捨て、金刀比羅宮を拝し救助を祈る。忽ち御霊験あり、風濤たちどころに静まり、危難を免れ、一同蘇生の思いなし、安穏に参詣帰郷し、即ちその有様を図にし御厚恩の萬一を表し長く御神徳を仰ぎ奉る。絵馬は殘念ながら引戸に鍵がかかって見られませんでした。明治三十三年九月吉日草戸村金刀羅新講舎連中【参考資料ー草戸の今昔】