杉谷善住坊で信長の歴史を体感。
杉谷善住坊のかくれ岩の特徴
遊歩道から降りた先に現れる杉谷善住坊の隠れた魅力が楽しめます。
織田信長公にちなんだ歴史的な場所で、鉄砲弾が飛び交った逸話があります。
千草街道の途中に位置する歴史感じるスポットで思いを馳せてみてください。
もし、信長に鉄砲の玉がと思うと今は?、考えました。
千草街道の途中に杉谷善住坊が隠れて20メートル先にあるいている織田信長公にめがけて、鉄砲を2発やら四発ともいわれて、うちこみました。幸い信長にはあたらなかったそうです。1570年信長は朝倉氏を攻めるために北陸をめざしていましたが、そこで湖北の浅井氏が裏切り信長を後ろから挟み撃ちしようと立ち上がりましたので、信長は金カ崎の退き口と言われてますが湖西路から京都にのがれました。この時のしんがりを務めたのが秀吉でした。その後岐阜に戻るときにこの千草街道を通って行きました。その途中で六角氏の家来といわれている善住坊の手で鉄砲で襲撃されました。甲津畑集落から車で10分位山に登ると行き止まりになっていて、車10台ぐらいとめられますので止めて、100メートルぐらいもどり岩谷林道の入り口がありますので、歩きでやく20分ぐらいで隠れ岩があります。
名前 |
杉谷善住坊のかくれ岩 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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遊歩道から沢まで降りる必要があります。オイラ的な感想ですと、位置エネルギーを失ってまでの価値はあまりないかと。歴史的な場所でわあるので、その価値が分かる方か沢で一休みの方は試してみるべき(笑)