深い歴史を辿る五僧峠へ。
五僧峠の特徴
五僧峠は美濃の時山から由来し、歴史を感じる場所です。
駐車場が広く、一般路ではない特別なアクセスがあります。
岐阜県側の林道は綺麗に舗装されていますが、落石には注意が必要です。
滋賀県米原市のにある五僧(ごそう)という場所は、かつて霊仙山の麓にあった廃村(廃村五僧)ですが、この地には深い歴史や悲哀を伝える伝説や伝承が残っています。五僧にまつわる主な伝説・伝承⦿『五人の僧』の伝説(地名の由来)はるか昔、この地に5人の高僧が訪れ、隠れ住んだあるいは修行したという伝承があります。これが『五僧』という地名の由来になったと伝えられています。⦿廃村と故郷への思い五僧はかつては炭焼きなどで栄えた集落でしたが次第に過疎化が進み、完全に無人(廃村)となりました。しかし、かつての住民たちは故郷を完全に捨てたわけでなく、荒れ果てていく村の屋根を支柱で支え、手入れをし続けてきたという切ない故郷愛の伝承があります。⦿権現谷の伝説五僧へ続く権現谷林道には、修験道の霊場としての歴史があります。霊仙山を『神仏の山』として崇め、僧が水源を開くなど霊験にまつわる話が伝えられています。
山女原〜五僧峠〜北横根岳〜平の頭〜三国岳〜烏帽子岳〜狗留孫岳〜篠立口〜西藤原駅縦走時に立ち寄りました。非常に淋しい場所ですが、歴史的には島津越えと言われる有名な場所です。付近で人の活動が無いため、林道は荒れる一方です。安女原からの道で途中保月との分岐がありましたが、そこで生活される少数世帯の方は奥地と言われる安女原から更にここまで車で行き来されていることにただただ驚くばかりです。真夏は蝉と蜻蛉、更には蜥蜴の活動がピークで、生き物が非常に賑やかに感じます。
岐阜県と滋賀県の県境でもあるこの地は「島津越え」とも呼ばれる関ヶ原合戦に敗れた島津義弘の一行が密かにここを通り、甲賀を経て境浦から船で薩摩に帰ったことでも知られるそして、かつてここには「五僧集落」が存在し炭焼きを主な生業をする10数軒の民家があったのだが、製炭業の需要が少なくなり昭和50年頃に完全な廃村となった。
美濃の時山から五人の僧が移り住んで!なる〜。時山に向かう道中に見つけました。詳しく書かれている看板があるので助かります。石碑もあり。
なかなかの峠道でした。愛知から霊仙山登山をするためこの場所を越えました。開通碑を見ると意外と最近だなぁと思いました。ここにはほんと山の中、トイレ駐車場などは無く準備は必要です。ただ冒険心はかなりくすぐられます。
時山から岐阜県側勾配きついが五僧峠下り程なくT字路を矢印右側あったので、迷わす降って行った!間違えた!後で確認したら、左側が時山多賀線だった。(泣)!又行くか!だが河内風穴に向かう道も芹川に沿って気持ちよく走れた。この時期だからな風穴手前でザブ〜ンと冷たいが気持ち良い!
保月の集落から五僧峠まで通行止めで通れない。杉集落から保月の間の通れる道でも落石が非常に多いので、かなり注意が必要です。
滋賀県側に広い駐車場あり。
もちろん一般路ではありません。冬季は通行止めになります。大垣市上石津から、滋賀県多賀を結ぶ間道です。国道21号の関ヶ原を北端に国道1号の鈴鹿峠まで三重と滋賀を横断出来るのは現在306号の鞍掛越え、421号の石槫峠、鈴鹿スカイラインの武平峠の3線デス。(安楽峠は厳しい)どれも険しい谷を観ながらの道で、100年以上昔ならば、人馬にとってこの道は難易度的に楽な方だっただろうし、琵琶湖と員弁地区を結ぶ最短路になる。現在はオフロードコースと考えたうえで通行した方が良い。廃村が点在して、道脇の雑草も多く、この先さらに街道の面影を無くしそうである。しかし、決して杣道ではなく、かつての重要な間道であったのです。
| 名前 |
五僧峠 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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この道とても好きです。春に通行止め解除された直後は、雪の塊とか残ってるのでオススメしません。