熊野神社で感じる自然の力。
熊野神社の特徴
林の中に佇む熊野神社は、自然のパワーを感じる場所です。
雨の日に訪れると苔むした階段の存在感が際立ちます。
鳥居をくぐり、風格ある拝殿へと続く階段も魅力の一つです。
熊野神社(くまのじんじゃ)。長崎県壱岐市勝本町立石南触。式内社(小)阿多弥神社、旧村社。主祭神:伊弉册尊 素盞嗚尊 事解男命 速玉男命(配祀)正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊 天照大神 ほか資料によると、創祀年代は不詳。『壱岐風土記』によれば、昔、足海に着津したものを、当地の豪族橘氏によって奉斎されたことが起源だという。足海は、あるいは樽見、垂水とも書き、「たるみ」と読む。紀伊熊野大神と同体で、熊野大権現として崇敬された。また、橘貞兼が高麗征伐の勅命を賜り、その際熊野大神に祈願し、帰国後、熊野から御神霊を迎えた、とも伝わる。橘貞兼は不詳。さらに、布代城主が勧請したとも、上川に居住した立石氏が勧請したとも。奈良時代の天平2年(730年)、遣唐使多治氏廣成が官命により鎮座したとも。左右矢大臣の銘に、室町時代の文明9年(1477年)とあり、願主同作者橘頼兼の名がみえる。『神社考』によれば、立石村の海辺に温泉があり、昔は当地は「あたみ」と呼ばれていた。今は湯本(湯の本)という。温泉に近い熊野権現、ということで、湯屋権現とも。江戸時代前期の、正保4年(1648年)、社殿の造営があった。願主は国主松浦鎮信、当時の神主は立石刑部橘廣貞だった。寛文2年(1662年)、宝殿が造営された。やはり鎮信によるもので、この時は立石刑部の弟である堤主馬が社司だった。延宝4年(1676年)、式社改めを行った橘三喜は、当時の当社神主だった橘廣貞の次男だった。その橘三喜は、式内社「阿多彌神社」を、当時「アタミ畑」と呼ばれていた、立石東触の石神に比定した。しかしこの「アタミ畑」はアザミからの転訛で、温泉とは関係ない、という説が今では有力で、温泉のアタミの地である、当社が式内社ではないか、という。元禄2年(1689年)には大鳥居が建設され、幕末の天保15年(1845年)にも長谷川栄左ヱ門により鳥居が献納された。当社には霊剣(銅鉾)が伝わる。弥生時代か、それ以前のものとされる。箱の銘には寛文11年(1671年)、松浦肥前守源朝臣鎮信とある。とあります。
自然からパワーをもらえるような気がした。人がいない時が絶対いい!
雨の日に行ったのですが階段に苔が生えていて滑りそうです。古くて趣きがあります。
地元の神社です。表参道は雰囲気抜群です。
鳥のさえずりと虫の音が響き渡る、林の中にポツンとある佇まい。荘厳さを感じます。
ここの神社は、祀られている神様が大変多いです。本来の表参道は、現在は苔むしていて使われていないようです。
表参道からの 鳥居ゎ ✨✨ 風格があり 階段を1段1段 登ったところに…拝殿が みえて来ます😃✋
熊野神社のお旅所は湯の本湾海老館の横に有ります。
村社 熊野(くまの)神社。表参道に江戸時代石造鳥居1基と裏参道にも江戸時代石造鳥居1基が見られる珍しい神社です。江戸時代石造鳥居が1社で2基あるのは壱岐ではこの神社だけです。裏参道から入ると趣がありませんが、拝殿前の表参道から眺めると非常に心の研ぎすまされる神社で、個人的には壱岐の中でも一番魅力を感じる神社です。拝殿の奥に狛犬がいて本殿がある変わった配置にも注目。また多くの神様が祭られていて神徳も多そうです。また、この神社は壱岐国式内社二十四座のひとつ阿多彌神社の論社とさえています。神社本庁登録壱岐150社のうちの一つ。祭 神:伊弉册尊、素盞嗚尊、事解男神、速玉男神相殿天照大神、国常立尊、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊、天津彦々火瓊々杵尊、彦火々出見尊、軻遇突知命、埴山姫命、罔象女神、稚産霊神、大山祇神祭典日:10月29日 神迎祭 大神楽。
| 名前 |
熊野神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0920-48-1111 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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無人で、御朱印その他、何もないです。