寒念仏橋で浮世絵の旅。
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英泉の浮世絵「板鼻」に描かれている場所が、此処の様です。奥の方にある橋が「寒念仏(かねつ)橋」と思われます。
名前 |
寒念仏橋供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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寒念仏橋供養塔安中市指定遺跡昭和五十二年十二月二十二日指定板鼻の念仏講中(講はサークル集まり、中はメンバー)が寒念仏供養(在家信者が集りで念仏を唱えたりする)て得た報謝金を蓄積し、享保十七年(一七三二)に石橋を改修し、旅人の利便に供した。その後年月を重ねて破損したので、享保二年(一八〇二)、板鼻宿の木嶋七郎左衛門(板鼻宿本陣の主人)が亡父の遺志を継ぎ、堅固な石橋に改修し、その近くに供養記念碑を建て、後世に遺したもの。地元ではこの石橋を「かねつ橋」と呼んでいる。また、この塔が建てられた直後に、中山道を旅した大田南畝(大田蜀山人と言えばわかりますか?)がその著で、この橋と供養塔を見て、「功徳はまさりぬべし」と賞賛しているとのこと。大田蜀山人は確か、松井田宿の茶釜石の説明板にも登場していました。中山道は幾多の有名人が足を運んだらしく、改めて敬服する次第です。尚、この供養塔は国道十八号の拡幅工事のため板鼻堰用水路沿いにあったものをわずかに現在地に移動したものである。安中市教育委員会国道十八号の工事に関しては、いろんな史跡、記念碑等が場所替えを余儀なくされていて、ふと自分とはなんの関係もないと思っていたものが、案外意外な関わり合いを持っていることを知り驚いています。中山道に係る史跡も多く、本当に中山道って凄いな!と感じる次第です。