戦国の歴史を感じる、戦死六萬墓。
六万墓の特徴
戦死六萬墓は戦国時代の激戦の歴史を物語っています。
土岐頼芸氏と斎藤道三氏の抗争を記念する特異な慰霊碑です。
歴史的意義を持つ石碑が建てられた場所であることが魅力です。
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戦国時代 土岐氏と斎藤氏の抗争による戦没者を葬ったのち、石碑が建てられた様です。
名前 |
六万墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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「戦死六萬墓」は、土岐頼芸氏と斎藤道三氏との激戦を今に伝える慰霊碑です。天文11年(1542年)美濃で台頭してきた道三は、守護の頼芸に「国盗り」の戦を仕掛けました。道三は、1万の兵を引き連れて進攻してきたといわれています。すぐ近くには「四国堀跡」があり、この辺りが大桑城を巡る攻防の最前線エリアであったことがうかがえます。市場、椿野、市洞は激しい戦いが繰り広げられ、多くの戦死者が出ました。そして、この地で戦死者の骨が埋葬され、土岐氏の菩提寺でもある南泉寺の仁岫和尚が焼香を行ったとされており、後に「戦死六萬墓」の墓石が建立されました。6万という数は定かではありませんが、この合戦がいかに激しく、そして計り知れないほどの尊い命が失われたことを物語っています。今でも毎年8月に供養祭が行われています。大桑に遺る貴重な遺構は、土岐頼芸氏の往時の栄華と攻防策に思い巡らせた当時の面影を残しています。