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名前 |
井上井月句碑(蟻塚城跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
越後長岡出身「井上井月」について、生い立ちや俳人になる経緯は知られていないが、北越から江戸へ、東海道で京から大坂そして須磨に至り、引き返して伊賀を経て、美濃から北信を行脚し、安政年間(1854~1860)本人37~38歳頃に上伊那の地に来たと言われている。当地では、いたるところで昼寝もすれば野宿もする浮浪の生活で、俳諧趣味人の家や旧家から酒食のもてなしを受け日を暮したが、晩年には乞食の風体極まったと伝えられている。俳人にとって恵まれない時代にあって芭蕉を慕い、句や書の理解者を得て伊那の土になった俳人だ。そんな井月の句碑「山桜古城の跡のあらしかな 霞むべき山は放れて夏木立 井月」は、JR飯田線「伊那市駅」から車で約15分の「伊那市美篶笠原」にある中世の山城跡「蟻塚城跡」の「二の郭」にある「御射山社里宮」右手裏に、2014(平成26)年6月に建立された。当地における井月研究の泰斗「竹入弘元」氏が執筆した碑陰記には「蟻塚城跡の風情に相応しい二句を選び 霞句は井月の真筆 山桜句は真筆が見当たらないので向山修氏が井月書から字を選び句に整えた」と記されている。