松前藩の歴史、館城跡で感じる。
館城跡の特徴
箱館戦争の激戦地で歴史を感じるスポットです。
嫁と一緒に100名城を楽しむことができます。
館城本丸跡で歴史の面白さに出会えます。
松前藩が防衛の為に、1868年9月に内陸の地である館に城を築き、2ヶ月弱で城を完成させたが、移転後わずか1ヶ月で旧幕府軍に攻められて落城消失。跡地は碑がなければ城跡とわからないくらいに平野が広がっています。
松前藩の、歴史が、分かります近の、桜が、みたいでした。
函館から厚沢部市街の手前に「館城跡」の看板で曲がりしばらく走ると入り口の門があります。建物跡には中央に碑がある他、何があったか示す立札がありますが文字が大分かすれてました。向かいの公園に城のオブジェがありますが実際の館城は陣屋のような建物とのことです。
2024/8/9駐車スペースがあり平坦で車では訪れやすい。真夏でアブが大量発生して、時間の都合上もゆっくり廻れなかったが、土塁・百間堀までは確認できた。展望台や米倉跡なども見たかった🚶
2021.7私は歴史はそんなに詳しくないのですが、嫁の100名城を追いかける事で面白さを感じてきています。遅いけどね。北海道ではスタンプ・御城印コンプリートしました。
箱館戦争の激戦地の一つ、館城の本丸跡。
【箱館戦争 館城】厚沢部町の街外れの農地に館城があります。旧幕府軍の福山城(松前城)攻撃を予測し松前から厚沢部に城を移すこと決め突貫工事で明治元年10月25日頃には完成させました。城壁もなく平屋の陣屋風のものでした。10月28日藩主松前徳広は家族を引き連れ松前を脱出し館城に向かい11/3に到着します。ところが五稜郭を11/10榎本軍が出発した情報により藩主ほか約70名は北部の熊石関内に脱出します。11/15榎本軍と少数の福山藩との間で館城での戦争となりましたが数時間で館城は落城します。その際、福山藩は城に火を放ちました。落ち延びた福山藩主一行は11/19熊石関内から漁船に乗り津軽へ脱出します。藩主徳広は津軽で病気になり松前に戻ることは叶いませんでした。マップコード:482 476 228
| 名前 |
館城跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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非常に心が落ち着きます。私はおよそ15年前に貴跡へ入線し、幕府軍の前に儚く散りにける松前藩の魂を感じました。貴跡の特徴としてはやはり、土地柄常時空気輸送となっているさびれ具合であります。しかしながらこの静けさこそが松前藩の終焉の儚さというものを表しており、先人が決死の思いで正義を守り通そうとしたことが伺えます。私はこの厳かな雰囲気に圧倒されるがあまり、上空から降り注いだアブラゼミの排尿にも遂に気づくことはありませんでした、、、小学生ながらも先人の偉大さというものに感銘を受けたあの時から十数年経とうという今、私も決死の思いで修論及び就活を完遂しようと奔走しているところであります。先人も半ば呆れながらも私のことを見守ってくださるでしょうか、星5の贈呈を供用させていただきます。