大久保利通の貢献を感じる。
大久保利通公記念碑の特徴
大久保利通が寄与した農工大学の記念碑です。
白い古めかしい建物の近くにひっそり佇んでいます。
卒業生たちから感謝の声が寄せられています。
【感謝の気持ちはわかるけど、そんなことしてたら世の中記念碑だらけになってしまうような】2023/03/05 14時ごろ訪問農工大農学部に入ったら見つけたので【行き方】農工大農学部かな、白い古めかしい建物のすぐそばにひっそりと佇んでます。【雰囲気】やたらでかい。感謝の気持ちを表すにも限度があるような気もするけど、とにかく大きい。記念碑の大きさに対して内容はよくある設立に大久保利通が関わりましたってだけ。大久保卿が関わったことに記念碑を建ててたら、日本全国記念碑だらけになってしまうような。
ざっくり言うと、なんか大久保 利通が、東京農工大学の設立に寄付金出したりして貢献したみたいで、大学の卒業生達が、「利通さん、マジ感謝ッ!」ってことで建てたらしいッス。
名前 |
大久保利通公記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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農工大学農学部の成り立ちに大久保利通が大きく寄与したらしい。大久保利通は、国力を強めるためには農業の振興が必要と説き、人材の養成のため農学校の設置を計画した。明治7年、当時の内藤新宿に農事修学場を置き、さらに明治11年(1878年)駒場野に移して駒場農学校として開校した。これが現在の東京大学農学部の前身である。東京農工大学農学部は、東京帝国大学農学部実科を前身とし、昭和10年(1935年)4月、この地に東京高等農林学校として独立した。