重光葵の生家で学ぶ歴史。
重光家 無迹庵の特徴
無迹庵は、ポツダム宣言の署名者の生家として歴史的価値が高い場所です。
終戦の日に関する興味深い歴史の話が丁寧に説明されます。
緑に囲まれた落ち着いた雰囲気で、ゆっくりと過ごせるスポットです。
丁寧な説明をしていただきとても勉強になりました☺️
外務大臣を務めた重光葵(しげみつまもる)の名前を知っている人なら一度は行く価値はあると思います。
こちら以外の公開されている昔ながらの家屋の主もそうですが、大分県人の優秀さに驚くばかりです。
とても丁寧なガイドをしていただいた。
日本では終戦の日は1945年8月15日とされているが、アメリカなどの戦勝国は終戦の日はミズリー艦船上での無条件条約調印式の9月2日と認識しているのである。その時の日本の外務大臣 重光葵(しげみつ まもる)が全権委任され降伏文書に調印している。さかのぼると、日本の敗戦の色が濃くなってくると1944年7月16日には葵はこれ以上の惨状を憂い、東條内閣に強烈な「東条内閣 退陣せよ!」との内閣総辞職勧告を裂帛の気迫でもって出していたのである❗️国力が疲弊し犠牲者が増えて行く中でも、東条内閣は2年10ヶ月も総理の座にあり、陸軍相並びに陸軍参謀総長を兼務し絶大なる権力を握っていたのである!そして・・・遂に彼の尽力虚しく、日本は終戦の8月15日を迎えたのである・・・・この重光葵は大分県杵築市で生まれ(1887年)。中華公使の時には、上海事変の収拾に尽力している。また、1932年の天長節祝賀式典で朝鮮の独立運動家に爆弾を投げられ右足を吹き飛ばされ失くしてもいる。戦後は鳩山内閣で外相を務め、ソ連との国交回復や国連加盟に尽力したのである。
緑が多くて、落ち着ける雰囲気です。広くない家ですが、天井高く、いい間取りです。勉強部屋も別棟にあり、勉強机もありました。非常にご丁寧な説明をいただき、人物理解が、進みました。
貸切状態で丁寧に説明して頂きました。遺品や勉強部屋など貴重な資料が展示されてます。
落ち着いた場所でした。
勉強になります。
名前 |
重光家 無迹庵 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0978-62-5556 |
住所 |
|
HP |
https://www.city.kitsuki.lg.jp/soshiki/7/bunka/bunkazai/bunkazai/1817.html |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

担当者の方が非常に分かりやすく、しかも丁寧に説明して頂きました。歴史の勉強ができてよかったですか。