観音堂の大イチョウ、長福寺の魅力。
万年山長福寺の特徴
観音堂には荘厳な大イチョウが存在しているため、一見の価値がある。
長福寺では、歴史を感じる観音堂を参拝することができる。
観音堂の背景には、この地域の歴史的な魅力が詰まっている。
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名前 |
万年山長福寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
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今や観音堂の大イチョウの名ばかりが有名になったが、この観音堂こそはこの長福寺のことである。今や廃寺なのか打ち捨てられたようになり、その存在を語り継ぐものはいなくなりつつある。山を下りた松瀬川西組字にある真言宗豊山派北斗山上福寺の末寺でもある。昭和48年の川内町広報、広報かわうち80号における歴史連載のエッセイにおいて、本山について記載がある。「天平の昔広大な寺院を成していて修験者のメッカかと想像されるがたびたびの火災と時代の流れに抗し切れず、寺院、本堂、庫裏も狭められ、今は十坪に足りない「わび庵」として残っている。本尊は薬師如来を中心に四方に、持国天・増土天・廣目天・多門天の四天王で堅められている。仏像は初めは木造十一面観世音菩薩をまつっていたのに、いつの時代か盗人にとられていた。それが叉盗人も仏罰を恐れ何処からか別の聖観音像を迎へていると近くの古老は真顔で話していた。身の丈三十センチ宝冠は見事な飾りで柔和な仏顔にガラスの白毫も鮮やかに、拝する者の心を慰してくれる。然し仏壇は荒れ放題でした。」話が本当なら、奈良時代からの由緒ある古刹であるということだ。そして観音堂というのは、この寺に奉納されている11面観音菩薩のことであり、少なくとも平成5年ころの町編纂資料ではまだ本堂に安置していたことになるが今はどうなのだろうか?小さな国の小さな県、そのまた小さな地区の中に確かに歴史は大きく存在している。見えなくなる前に語り継がれている話や人の営みを後世に残していきたいものだ。