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名前 |
高杉小忠太 邸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
高杉小忠太は、高杉晋作の父親です。現在は6軒ほどになっている石垣に囲まれた敷地に高杉邸がありました。この邸宅は、藩庁が萩から山口に移転したことに伴い晋作が土地を購入し建てたものです。晋作は四境戦争小倉口の戦いののち病気のため亡くなったので、ここに住むことはありませんでした。晋作の亡くなった後も、父の小忠太、母のミチ、妻のマサ、長男の梅之進はここの屋敷で暮していました。その後明治10年(1877年)木戸孝允(桂小五郎)の死をきっかけに高杉家は上京して行きました。石垣の下に山田顕義の道路改修の碑があります。このあたりの道は山田顕義の寄付により改修されました。令和2年10月(2020年)石垣の一部が崩され再度 道路が拡張されるようです。