田原坂で近代史を体感。
西南戦争 田原坂の戦い 田原坂 一の坂の特徴
近代史の教科書に出てくる切ない地を実感しました。
道の両側が盛り上がった薄暗い登り坂を体験できます。
西南戦争資料館や慰霊碑で深い歴史に触れられます。
田原坂の戦いにおける「一の坂」西南戦争で激戦地となった熊本県の田原坂には、「一の坂」と呼ばれる場所があります。この地は、官軍と薩軍が激しい戦闘を繰り広げた場所として知られ、現在では歴史公園として整備されています。* 歴史的価値: 西南戦争における重要な戦跡であり、歴史学習の場としても注目されています。* 自然と歴史の融合: 公園内には、当時の弾痕が残る家屋や、慰霊塔などが現存し、自然豊かな環境の中に歴史の重みが感じられます。
近代史の教科書に出てくる地を、体感しました。犠牲者に🙏黙祷しました。
なんだか切なくなりました。
道の両側が盛り上がり、薄暗くて先の見通せない登り坂です。ここを攻めると思うと恐怖しかありません。
西南戦争資料館、慰霊碑等実際現地に行きボランティアの方に説明をしていただき、時代の節目に生きた人々に思いを寄せる事が出来ました。
3週間にも及ぶ田原坂の戦い。その窮状に接し派遣された警視隊の中から特に、剣術に優れた隊員110名で結成された「抜刀隊」(後の陸軍分列行進曲中にも挿入される軍歌「抜刀隊」に唄われる)は抜群の戦果を収めました。これに比し西郷軍の装備には、旧式だったエンフィードル銃がまだまだ主力であり、政府軍に採用されていた最新の元込め式スナイドル銃であれば6発/分の発射が可能でした。一方の西郷軍のそれは1分間にたった2発・・・一日平均32万発、多い日で60万発の弾丸消費。加えて雨天が多かったため西郷軍のエンフィードル銃では先込め作業の際雨で火薬を濡らすこととなったため武器の運用のみを比べても政府軍の方が圧倒的に有利だったのです。
2018年12月訪問。3つの坂のうちここだけが駐車スペースがあるので、落ち着いて写真が撮れます。坂の上にある資料館の展示で勉強してからこれらの現場を訪れるのが良いと思います。
道脇に一の坂の表示があります。隣接した公園がありますが、特段のものはありません。
田原坂を登り始めてまもなく、今は駐車場となっている高台の一の坂公園がある。これから入る竹林に囲まれ地下に掘って造られた深い道、いわゆる「田原坂」へ入る手前で、一息つける場所。
名前 |
西南戦争 田原坂の戦い 田原坂 一の坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.infobears.ne.jp/athome/fukusuke291/z-606itinosaka.htm |
評価 |
4.0 |
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西南戦争、資料館には田原坂の戦いの資料も多くいい勉強になりました。ロケーションもとても素敵な場所です。