龍造寺隆信の最期の地、沖田畷へ。
二本木神社(沖田畷古戦場跡)の特徴
信長の野望のファンには特別な歴史が感じられる場所です。
沖田畷古戦場跡は龍造寺隆信の最期の地として知られています。
企業の敷地内にあるため入場時は注意が必要です。
沖田畷古戦場跡。有馬、島津連合軍VS龍造寺軍決戦の地。
企業の敷地内にあるので、入る時は声掛けしてからですね。当時は有明海の干潟エリアと繋がった湿地帯だったようです。
いよいよ今回の旅の最後の訪問地、沖田畷[おきたなわて]の古戦場跡に来た。私は昨年、島津氏、特に家久の戦いの跡を訪ねる旅をし、大隅の廻城[めぐりじょう]の戦い跡、日向の木崎原[きざきばる]の戦い・耳川の戦い(高城川合戦)・根白坂の戦い跡など巡っていた。また、2017年には豊後の戸次川[べつぎがわ]の戦い(沖田畷の戦いの2年後の天正十四(1586)年、秀吉の九州征伐先発隊との戦い)の古戦場を訪ねていたので、これで私の中では家久の古戦場巡りは一つの区切りとなり、感慨深い訪問なのである。ただ、私にとっては感慨深くとも、史跡自体は大したことはない。先ず、駐車場がない。車は隣のディスカウントストア「ダイレックス島原店」で、暑いのでブリック容器のジュースを二個買い、少々な時間なので停めさせて頂いた。ついでに奇麗なトイレもお借りした。感謝!因みに、ジュース2個は駐車場を出るまでのわずかな時間で飲み干してしまった。さて、国道251号線沿いに「沖田畷古戦場跡」の入口案内の看板がある。ここを入ればいいのであるが、どうも道は私道のようで、その先は運送会社の敷地である。当然、事務所へ挨拶し、許可を得てから中に入った。史跡としては、敷地の一角の木々の中に隆信の供養塔(天正十二年3月と刻まれているのは分かった)と石の祠(何だか分からない)、それに説明板があるのみである。龍造寺隆信は、圧倒的大軍勢で島津・有馬連合軍へ攻勢を仕掛けたが、島津の大将家久(貴久の4男、義久の異母末弟)は柵や堀で陣地を構築し、隆信の大軍を細い畷道に誘い込み、鉄砲隊等を伏せておいて待ち伏せする「釣野伏[つりのぶせ]の計」(島津の得意戦術)で龍造寺軍を大混乱に陥れた。龍造寺軍は胸まで浸かる程の泥田に挟まれた細い畷道のため、逃げ場もなくただ討たれるだけで総崩れとなり、隆信も川上忠堅[ただかた](義久の次弟である義弘の家老忠智の嫡子)に討ち取られた。《2023.7.22訪問》
ここは南高貨物自動車(株)の敷地内なので、断りを入れてから入らなけばならない。自分の場合は声をかけてくださり、案内していただけました。
「肥前の熊」ここに散る。現在この地に立って両軍6万とも云われる激戦を想像することはできませんが、こうして碑を保存して頂けることが何よりありがたいです。
天正12年(1585年)3月24日朝から龍造寺隆信は兵25000を率いて、有馬晴信・島津義久軍8000と沖田畷(おきたなわて)で戦いました。龍造寺軍戦死者約三千名など両軍の犠牲者を埋葬した所に供養塔を立てています。この供養塔は、この土地にあった祠百二十九個を一箇所にまとめ昭和4年5月に建立したものだそうです。当時沖田畷は、胸までつかるほどの湿地帯でその中を細い一本道が通っているだけでした。地理に不案内な上、大軍を誇りに油断していたのか、龍造寺軍は苦戦を強いられ、その日のうちに大将の隆信が島津軍の川上左京亮に首をはねられて戦は終わりました。さらに南の方に二本木神社があります。二本木神社は、隆信公を失った家臣のうち住みついた人たちが戦死をいたみ、その霊を慰めようと小祠を建て霊を祀っています。国道251号線沿いに看板が出ています。
ここは、現在個人の所有地の中ですので許可をもらって入りましょう。1584年肥前島原半島で勃発した戦いで、龍造寺隆信と有馬晴信・島津家久の合戦になった場所です。龍造寺軍の兵力は57000名に対し有馬晴信・島津家久の連合軍は1万名と圧倒的に差がありました。有馬・島津軍は泥田と湿地帯を縦貫するこの沖田綴に龍造寺軍を引き込み戦いました。この合戦で龍造寺軍は敗退し、隆信は首を落とされることになります。
龍造寺隆信の最期の地。しかしまるで隠すように存在しているのは、武力で臣従を迫った龍造寺隆信を今でも島原人が忌むべき存在と思っているからだろうか…。
島津軍と龍造寺軍との戦い。戦国時代九州最強は島津でしてが、家族や家臣や領地領民を守るため凌ぎを削ったことはいうまでもありません。無秩序の中上記のものを守るため必死で生きたことと思います。
| 名前 |
二本木神社(沖田畷古戦場跡) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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他の方がきちんと色々書いて下さっているのでココでは書きませんが信長の野望のファンのワタクシとしては感慨深い場所です。