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名前 |
前原一誠の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
前原一誠は、明治新政府で兵部大輔(防衛庁長官)の要職にありましたが西郷隆盛らと共に下野。萩の乱を起こしたものの、1週間で鎮圧されました。天皇への直訴を目指して日本海を航行しましたが、風雨を避けるために立ち寄った宇龍の港で見つかり、自首しました。宇龍の船宿・塗屋で過ごした後、萩へ送られ処刑されています。近くの福性寺には、遺墨や衣類が保存されていました。最近の研究では、前原一誠と日御碕に「縁」があることが判明しています。前原一誠は元の名を「佐世八十郎」。雲南市大東町の佐世を拠点とした佐世氏の末裔です。この佐世氏ですが、室町時代初めに、日御碕検校(宮司)第74代日置政高の弟・勝高が初代という研究結果が出されました。佐世氏などの出雲源氏は佐々木氏を祖とされてきただけに今後の研究が待たれますが、この不思議なご縁には驚かずにいられません。