敵に塩を送る 発祥の地。
川中島古戦場 首塚の特徴
上杉謙信にまつわる歴史を体感できる場所です。
高坂弾正の尽力を感じることができる首塚です。
敵に塩を送るのルーツを学べる史跡です。
首塚です。合戦後の戦場で、穴を掘って遺体を埋め塚を築いて戦死者を弔う風習は鎌倉時代には書物に現れています。またそれとされる塚跡も各地に残されています。戦に勝った側が勝鬨の後に弔ったものもあれば、付近の住民がこしらえたものもあります。こちらは海津城主高坂昌信が、敵味方問わず弔った首塚とされ、その話を伝え聞いた上杉政虎は大いに感じ入ったと言われています。余談ですが現福井県の灯明寺付近の新田義貞終焉の地と言われてきた場所で江戸時代に新田義貞のものとされる兜が見つかり、新田原と名づけられました。その場所にもかつては首塚があったのでしょう。
まだ行ってないです。行きたいなと思っています。
上杉謙信の、『敵に塩を送る』という言葉のルーツを知ることが出来ました。周りをぐるりと歩くことも出来ますので、戦国時代に想いを馳せながら、ゆるりと散策するのも良いかと思います。
武田の家臣、高坂弾正が敵味方関係なく川中島の合戦の戦死者を埋葬した。これに感激した上杉謙信が感激して武田に塩を送り『敵に塩を送る』が生まれたらしい。
敵に塩を送る・・・来世にまで残っている言葉 歳を重ね、なにかしら残す事が有るだろうか。
古戦場跡とこの場所に現存する首塚です。
信濃風林火山シリーズ。海津城主(現在の松代城)の高坂弾正が戦場に残された約八千名にも及ぶ戦死者を敵見方なく埋葬した塚が古戦場南方に残されています。かつては方々に十数基あったとの事ですが、現存するのは二基だそうです。
名前 |
川中島古戦場 首塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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塚の形をよく残した史跡になります。かつて、この川中島には方々にこの様な塚があったそうです。