歴史の息吹感じる横山神社。
横山三社宮(宗像三女神)の特徴
横山三社宮は神功皇后ゆかりの神社で、歴史を感じられます。
正月祭や夏越し祭など、魅力的な年間行事が充実しています。
本殿以外にも多くの神社があり、訪問者を楽しませます。
日本三代実録 貞観十二年五月廿九日庚辰 背布利神。
本殿の他に天満宮、大山積神社、宮地嶽神社、八幡宮があります。自転車やバイクは駐車出来ますが、車は厳しいです。西鉄バスの早良高校行きに乗れば途中のバス停で降りるとすぐです。周辺は田畑が広がるのんびりした光景が広がっています。
名前 |
横山三社宮(宗像三女神) |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
https://www.city.fukuoka.lg.jp/sawaraku/sawaraku-tamatebako/kankou/yokoyama.html |
評価 |
4.0 |
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横山神社祭 神奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)多岐津比売命(たぎつひめのみこと)年間行事一,一月吉日 正月祭一,八月一日 夏越し祭一,十月九日 おくんち祭(長寿祈願)一,十二月三十一日 大晦日横山三社宮由緒日本書紀(奈良時代)に,神功皇后新羅の航路を知るため背振山に登られ,小山田邑(脇山)に竹内宿称に命じて斎宮を造らせ,天神地祇を祭り自ら神主となり神教を祈祷,七月七夜の未神が皇后に新教があった。皇后は神教に従って神々のご援助で新羅王は無血征服,天地のある限り貢すると約束をした。皇后は新羅王城の門前に持っていられた槍を印に立て,帰国されて二〇一年都に帰られ,二〇二年に斎宮の跡(主基斎田勅定の地)に神社を建立された。この偉大な神社を,背振神社という,横山郷八ヶ村百七十町を授けられ,正六位上貞観元年(西暦八五九年)熊野の比兵尼,熊野三神の分霊を祀られた。貞観十二年(西暦八九〇年)従五位下に昇授,神功皇后筑前に建立七社の随一であった。長い年月の間には,盛衰があって,天授元年(西暦一三七五年)背振戦争の兵火等で焼失,慶長四年(西暦一五九九年)小早川秀秋の時,神領もことごとく没収,神社は消滅状態となった。現産子中で安永八年(西暦一七七九年)己亥現神殿を新築現地に遷座,社名を横山三社宮と改名された。昭和三年(西暦一九二八年)主基斎田守護神大鏡福岡県から奉納平成十六年三月吉日 氏子総代会境内掲示版ーーーーーーーーーーーーーーーー横山神社(横山三社宮)福岡市早良区脇山古くから背振山の三神が勧請されたので,江戸時代には横山三社宮,横山三社権現と呼ばれました。ここは,中世以前の東門寺領を管理する。役所があったともいわれています。また「横山」という呼び名は,戦国時代の古文書にみることができます。江戸時代中ごろにも,「脇山郷」は「横山郷」あるいは「横山八か村」ともよばれており,写真にある鳥居の銘文からも,この神社が脇山を中心とした村人達の信仰を集めたことがわかります。境内掲示物ーーーーーーーーーーーーーーーー村社 横山神社 早良郡脇山村大字脇山字大門祭 神田心姫命,湍津姫命,市杵島姫命由 緒不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。例祭日十月九日神饌幣帛料供進指定昭和三年五月十五日主なる建造物神殿,弊殿,拝殿,繪馬殿,通夜堂境内坪数八百坪氏子区域及戸数大字脇山の全部二百二十五戸境内神社八幡宮菅原神社大山積神社福岡県神社誌 中巻ーーーーーーーーーーーーーーーー一の鳥居:「起源二千五百五十六年」「横山神社」「維時明治廿九年九月建立 産子中」二の鳥居:「安永十辛丑三月吉辰 馬男木總次郎秀明」「横山三社宮」「奉寄進 總産子中」三の鳥居:「明治三十三年四月今(令?)辰」「三社宮」「再建 野田中」安永十年\u003d1781年。