大正の美、盤泉荘で堪能。
盤泉荘の特徴
大正15年に建設された、松井國五郎の別荘である。
磐泉荘から肱川や大洲富士の眺望が楽しめる。
大洲城や臥龍山荘との共通券利用で効率的に観光可能。
盤泉荘はその昔フィリピンなどの南洋貿易で財を成した松井國五郎氏が居を構えた邸宅です。その財力が大変なものであったことが建築資材や設計、凝ったしつらえからもよくわかります。南洋産の一枚板を廊下に貼ったり、ゆらりとゆがんで見える昔の板ガラス入りの建具やタイル張りの洗面台。廊下の壁にある電灯のスイッチが現在でいうブレーカーのような形で、パチパチして点消灯するモダンチックな形状でした。また、2階の窓周りの細い桟や隠し雨戸、屋根には國五郎氏のイニシャル付き鬼瓦など、要所要所に粋な意匠を凝らした造りです。床の間には商談にでも使っていたのか、木材の色や材質の見本が箱入りで置いてありました。松や杉以外にも南洋樹の見本があり、さすが貿易王です。当時の本もセット物で置いてあり、何の読み物か気になったのでちょっとだけめくってみました。その2階の窓からの眺めは、肱川の流れと風を感じることができ、ゆったりとした広くて心地よい和のお部屋でした。階下の路地をのぞきこむと、そこにはねこがのんびりふらりと横切っていて、のどかな時間が流れていきます。ひと通り見学が終わると、スタッフさんからのお声かけがあり、盤泉荘の由来にもなった横掘りの井戸を見学させていただきました。家の裏山の岩盤を50メートルも奥に掘り進めて、そこからの湧水を引いて来て溜めて、それを生活用水に当てていたというのが説明です。きれいな清水が台所からも汲めるような配管にしていて、すごく使いやすいしくみで驚きました。大洲に来られたなら、大洲城や臥龍山荘もそうですが、ぜひ盤泉荘にも足を延ばしてみて下さい。
赴きのある日本住宅!映画に出て来そうな雰囲気の素敵な住宅でした!広く長い床の間、とても印象的です!
和の家でありながら洋の木材を取り入れ、バルコニーまである素敵な家。
大正時代に建設された貿易商の別荘である。大洲は能代(秋田)、新宮(和歌山)とともに木材の三大産地の一つであった。貿易では木材扱っていたかは拝見しただけではわかりませんでした。急斜面に建つ立派な建物、庭もあり。景観で賞をとっているようである。各部屋から見る眺望いいし内観も立派です。雨水蓄える場所と井戸水も案内してもらえました。職員に聞いたところ肱川(ヒジカワ)は昔よく氾濫したようでこちらの別荘下の建物群もなかったようで肱川も見れたようである。ダム出来て氾濫おさまったが肱川は見れなくなったよう。
夏場に訪問したが、冷房が効いているのはありがたい。居心地が良いので座っているうちにうたた寝してしまった。廊下が熱帯の銘木の一枚板というのが南洋で財を成した富豪という感じ。
大洲城、臥竜山荘、盤泉荘の3施設が観覧出来る共通件を利用。ツツジが咲き誇る庭は手入れも行き届いていて大変見応えがありました。
明治から大正にかけて建てられた和風建築の美を、静かに堪能できる貴重な文化財建築。かつて豪商の邸宅だったこの屋敷は、伝統的な和の趣と洋の感性が絶妙に融合した空間で、邸内をめぐるごとに時の重なりと美意識が感じられます。磨き上げられた畳と障子越しに差し込む光、山水画のような大洲の町並みを望む座敷、そしてロッキングチェアが置かれた洋間……どの部屋も物語を内に秘めており、心を落ち着かせてくれます。大洲をゆっくり楽しみたい方には、ぜひ立ち寄っていただきたい場所です。この口コミはchat GPTで作成しています。ここからは私の感想。本当にすばらしい景色です。個人的には臥龍山荘よりも刺さりました。客間のチェア映え過ぎ注意!実際座れるのもgood大洲観光心からおすすめします。
スタッフさんの対応が印象的です。敷地内にある盤泉の意味が分かる場所に連れてって頂いて本当に素敵な建物でした。建物内は説明や展示物も少なく、モデルハウスに見学に来た感じです。雰囲気を楽しむには良いかも。2階のテラスから見える風景とソファーが心地よかった。
大洲城を観た後、道の駅に車を止めて散策したなかで訪れました。素晴らしい邸宅で、眺めも良くみる価値がありますね。受付の女性が井戸や水取の為の随道を見せて下さり建物への愛着を感じられてとても良かった。
| 名前 |
盤泉荘 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
🏣愛媛県大洲市柚木317🅿️🚗…観光第2駐車場に。駐輪場…盤泉荘の入り口(坂道を上がる)※観覧時間9時~17時観覧料550円~220円※松井愽三郎1870年~1920年松井國五朗1875年~1945年兄弟がマニラで貿易会社を経営、日本人移民向けの百貨店や貿易、小売業で大きな財を成した。旧松井家住宅兄愽三郎が大洲に別荘を建築しようと計画、死後國五朗がその意志を受け継ぎ1926年完成。自然豊かな景観を見渡せる高台に建築。建材等は東南アジアから輸入、当時の日本家屋には珍しいバルコニーや当主のイニシャル「K.M」がデザインされた鬼瓦も有る。裏山の岩盤からしみ出す水を利用していた事から「盤泉荘」と呼ばれる様に成った。※今でも枯れることのない「横井戸」の水(岩盤を横に50メートル以上掘られ奥から流れてくる)※庭のライオン像(新やなせ焼き)江戸時代に廃絶したものを大正10年に有志により復興させ焼かれた。※外観の石積みも特徴的なX状に積み上げられている(現地周辺で切り出された石)※屋内には廊下、天井、等々随所に今は見られない材料が使われている貴重な建築物だそうです。※今は周囲も変わり眺望も変わっているようですが、遠くには肱川が望めます。