七夕限定御朱印、波折神社⛩️
波折神社の特徴
瀬織津姫様を祀る神社で、独特の信仰が息づいている。
津屋崎祇園山笠が執り行われる神社で地域に根付いた祭りが魅力的。
波乗りうさぎの石像があり、ユニークな観光スポットとしても知られている。
先週、娘と津屋崎までドライブデートをしてきた。立派な神社があったので参拝してきたのだけれどすごく静かで、敷地内も綺麗にしてありとても居心地の良い神社でした。望遠鏡で遠くに見える鳥居が見えるとラッキーってことでのぞいてみたら遠くの鳥居が見えた。娘が、カメラで撮れるよ!と教えてくれたので、私も真似て望遠鏡にスマホのレンズを当てて撮影してみた。なんか、幸せな時間をいただけました。また、神主さんがとても穏やかに話しかけてくれて娘とも「すごく感じの良い神社だったね」と話していました。
令和7年5月3日、雨の降るなか住宅街に佇む波折神社を参拝し、御朱印を拝受しました。神社では素敵な宮司さんとの出会いがあり、神社の歴史や想いについてお話を伺うなかで、時間を忘れてしまうほど心温まる豊かなひとときを過ごしました。
素敵な神社でした。氏子さん達も頑張っておられ、偶然にも年に一度の特別御朱印の日でもあったのでありがたく拝受しました。
実は すごい神社⛩️ 七夕限定の 御朱印あり。一年に1日しか 貰えない御朱印です。水にうかべる おみくじもあり。スピリチュアルな人も参拝している。
福岡県福津市の津屋崎地区にある波折神社。神徳は災難厄除、海上安全、商売繁昌。地元地区の氏神として祀られています。神社までは狭い宅地道を通るため、初見では分かりづらいかも。境内は他神社にはないものがあり、波乗りウサギの石像や境内2か所に望遠鏡が設置され、1つは東郷神社、金比羅宮が見れます。本社で祀られている瀬織津姫(セオリツヒメ)は、人の罪と穢れを洗い流す祓戸神。映画「君の名は」をイメージした作品だと噂があるそうです。御朱印は直書きしてもえます。書置きはなく社務所不在が多いため、幻の御朱印と言われています。
住宅地にある、こじんまりとした神社でした平日にも関わらず、素敵な御朱印をいただきました。
御朱印が頂きたかったので第1・第3日曜日にしか行かないといけないため、やっと都合がついて今日行けました!波乗りうさぎも見たかったので、なんとかうさぎ年のうちに行けてよかったです!住宅街の中にあるこじんまりとした神社ですが、社務所の方のご親切な対応に居心地が良いところです。心が清められるような気持ちの良いところでした!瀬織津姫のイラストの入った、素敵な御朱印と、可愛らしい神様のイラストの栞をいただきました。津屋崎みくじは、地元のお年寄りのとても含蓄のあるお言葉がいただけます。なかなか心に突き刺さる内容で、大事に取っておこうと思います。そういえば、津屋崎祇園山笠は博多祗園山笠と関連があるとのこと。博多祗園山笠は毎年見に行ってますが、来年は津屋崎祇園山笠も見に行こうかな、と思ってます。
水に関わる毎日を送っていますので、その場面で迷いの生じた際は伺いたいと思います。タイプの違う二対の狛犬様があり、境内者も多くて、見どころが沢山あります。websiteも作られており、各社についても詳しる知ることができます。境内に駐車させていただけますオーナー様早速の御返信ありがとうございました!
波折神社(なみおりじんじゃ)は、JR福間駅の北東4.6kmほどの福津市津屋崎(旧宗像郡津屋崎町大字津屋崎字古小路)の津屋崎千軒の古いまちの面影が残る海辺の集落の中に鎮座している神社です。旧社格は村社です。神功皇后が三韓征伐(西暦391年ごろ)からの凱旋の際に、当浦渡村鼓島に三神(瀬織津大神・住吉大神・志賀大神)が現れ、神功皇后は、この浦の岡分、河原崎の宮之本という地字に神垣を造りて斎祀されました。その後、3人の漁師が沖合で釣りをしていると、急に海が荒れました。神様に祈ると三神が現れ、その助けによって、荒波を折って鼓島に漂着、波風が収まるのを待つことにしました。その間に食べ物がなくなると、神様に食べ物を与えられ、飢えをしのぐことができました。波風が収まり、神様が去ったあと、船には三つの石があり、漁師たちはそれを神体として、社を建立して創建されました。承久3年(1221年)に現在地に遷座されました。一の鳥居は、平成元年(1989年)の建立です。二の鳥居は、大正9年(1920年)の建立です。御祭神は、瀬織津大神(貴船神)・住吉大神・志賀大神です。瀬織津姫大神は罪や穢れを祓い去る祓戸の神様、住吉大神は航海安全・豊漁・国家守護の神様、志賀大神は開運の神様です。境内社として、六之神社(義民六士)・須賀神社(素盞能男命)・蛭子社・鷺大明神社・稲荷明神社・荒神社・天満宮・皇大神宮・秋葉明神社・大海積神社があります。境内社である『六之神社(ろくしじんじゃ』には、義民六人士(庄屋・左兵衛、組頭・七郎兵衛、長兵衛、甚兵衛、佐右衛門、弥右衛門)が祀られています。寛永17年(1640年)津屋崎浦は断崖絶壁の海岸が多く、漁戸数が津屋崎浦よりも少ない勝浦浜と漁場争いが生じ、藩に訴えました。ところが、浦役所での論争で激高し、津屋崎浦の代表6人は暴力を振ってしまいました。奉行は6人に死罪を宣しましたが、憐れにも思い、漁場境から300貫(約1,125kg)の大石を6人で担いだ場所までを新たな境とすることとしました。6人は10町(約1km))を越えて運んだので、奉行はそこで石を縛った綱を切り落としたということです。翌日、6人は箱崎松原で処刑され、教安寺に葬られました。約200年後の天保5年(1834年)黒田家より「津屋崎の6人士は罪人なれども義民なり。神に祀り、以後祭祀を厚くせよ。」と命があり、津屋崎の鎮守・波折神社の境内に『六之(ろくし)神社』として祀られ、現在も毎年3月18日は休漁となり慰霊祭があります。境内には、荒波を飛び跳ねる躍動感があるウサギの像が、昭和2年(1927年)に建立されています。毎年、7月の19日に近い日曜日に『津屋崎祇園山笠(福津市指定無形文化財』が開催されます。正徳4年(1714年)博多櫛田神社から波折神社の境内の須賀神社に神様をお迎えし、山笠を三流れ作って神様に捧げたのが始まりとされます。津屋崎の山笠には「北流」、「新町流」、「岡流」の三つの流れがあり、モマ笛やごん太などでも知られる「筑前津屋崎人形巧房」の人形師が丹精込めた、豪華絢爛たる武者人形の合戦絵巻で彩られた山笠が津屋崎のまちを駆け抜けます。当時から漁業を中心とした「北流」、商業を中心とした「新町流」、農業を中心とした「岡流」の三つの流れで組織されており、追山は、古い街並み(津屋崎千軒通り)の狭い路地を清い水、勢い水、力水を浴び駆け巡り、たびたび山笠同士がぶつかり合うこともあり「喧嘩山笠」ともいわれます。追山の前夜祭として安全祈願を行う裸参りは、上半身裸で締め込み姿の「かき手」たちが、提灯を掲げ市内を勢いよく駆け抜け、三社(波折神社、金刀比羅神社、宮地嶽神社)参りを行っています。神社のある「津屋崎(つやざき)」という地名は、かつてあった筑前福岡藩の宗像郡(むなかたぐん)津屋崎村に由来します。明治22年(1889年)津屋崎村・渡村が合併して、改めて津屋崎村が発足しました。明治30年(1897年)津屋崎村が町制施行して津屋崎町となりました。明治42年(1909年)津屋崎町・宮地村が合併し、改めて津屋崎町が発足しました。昭和30年(1955年)津屋崎町・勝浦村が合併し、改めて津屋崎町が発足しました。平成17年(2005年)津屋崎町・福間町が合併して福津市となりました。
| 名前 |
波折神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0940-52-0264 |
| 営業時間 |
[水木金日月火] 10:00~15:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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2026.6.15🅿️有り⭐今日は15日だったので御朱印をもらいに来てる方チラホラ⭐