荻往還で昭和の旅を感じる。
旧萩往還の特徴
荻往還の旧道は、綺麗に整備されていますので、散策に最適です。
山口市で歴史を感じるための重要な場所が荻往還です。
歴史好きにはたまらない荻往還の雰囲気が魅力的です。
荻往返的舊道。
見る聞く走る 昭和五十年、今から約半世紀前に、山口駅(木造)の北方にあった宿泊先から出発し、非舗装のここ(当時ダムはない)を通り、東鳳翩山を仲間と共に歩いて目指しました。この時、火薬庫爆発のことや鉱山の水の話しを聞きました。途中から競走になり、走り出しました。そして、無事に登頂し昼食となりましたが、仲間の一人が登ってこないことから、私が走って探しに戻ることに。なんと脱落者は、けつをわり、宿泊先に戻っていました。再出発です。私は、またこの道を抜けて山頂へ……(昼メシを食べに戻るド、負けてなるものか……走る 走る)山頂で昼食をとると、休む間も無く、すぐに、西鳳翩山へ(アホな競走心から走って)向かいました。西鳳翩山では、大分県の国東半島を眺めたりして小休止しました。そして、狂ったように走り下山、油ノ峠(ゆのとう)、吉敷、湯田、山口駅方向を目指しました。反時計回りの青春時代のひとこまです。登山とは。ゆっくりと歩くものです。
綺麗に整備されています。
本来、萩往還だった道です。現在はダムで行き止まりになるため、萩往還を走ったり歩いたりする際には県道62号線を通ります。この行き止まりになる旧萩往還と県道62号線との分岐点(天花橋のたもと)近くに「天花(てんげ)一里塚」があったようです。現在なんの痕跡もありません。塚木には「従 萩唐樋札場 七里 従 三田尻舟場 五里」と書いてあったはずです。また、幕末、このあたりに長州藩の火薬精錬所があったそうです。正確な場所は不明ですが。慶応3年(1867年)3月17日 朝。天花村火薬爆発事故 発生。即死16名、負傷2名。明治維新を蔭から支えた彼らをもう少しおもてに出してもよいように思います。碑をたてるとか。P.S.亡くなった16人は龍福寺境内に合葬してあり、16人全員の名前が記してある石碑がたっているそうです。
| 名前 |
旧萩往還 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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司馬遼太郎から幕末史のおもしろさを知り、「なに!こんな近くに現場が!」と、勇んで萩往還の往路をゆきました。海より市街へ入り、山へ分入って、海へ出る。起伏に富み、歴史に富んだ街道です。歩き旅は単調ですので、吉田松陰は〜、高杉晋作は〜、と妄想をふくらます時間はたっぷりあり、可能な限りをやり尽くせます🤣ぼくにとって、この街道は人生を変えてくれたようにおもいます。引きこもりのときに、敢行したもので。道中脚がつぶれ、萩のスーパーに助けを乞い、店員さんが、自宅近くまで送り届けてくださいました。以後、「歩き旅」マニアです。なにかのご縁でこの投稿みられましたら、ぜひに歩いて、感じられることをおすすめします。