国指定の史跡、明倫館の魅力!
明倫館碑の特徴
明倫館碑は国指定の史跡で、歴史的価値が高い石碑です。
明倫学舎前に立っており、由来を伝える重要な場所です。
大きな石碑が特徴で、圧倒的な存在感を誇っています。
国指定史跡です。二つの石碑が建っているうち右側は嘉永2年(1849年)に、13代藩主毛利敬親が新明倫館の開校を記念して建てたものです。幕府に対する忠心を意味する箇所(幕命而)が削られた跡があります。
想像した通りに大きな石碑でした。亀の上に長方形のブロックが乗っている、そんな感じの石碑です。花崗岩の亀形の台形の上に立つ2基の玄武岩の石碑で、むかって左手のものは、1741年元文6年、6代藩主宗広が明倫館創立の由来を後世に伝える為に建てたもので、明倫館2代学頭山県周南(やまがたしゅうなん)、津田東陽(つだとうよう)の明倫館記が刻まれています。右手のものは重建明倫館碑(じゅうけんめいりんかんひ)といい、1849年嘉永2年の時、敬親が開校式にはげみ、10代学頭山県太華に命じた、重明倫館碑が刻まれています。碑文の終わりの方に、崇奉◯◯と、欠字になっていますが、幕末の尊皇攘夷運動の盛んな時に、館内の学生が幕命を崇奉して、文字を磨り潰してしまったからだといいます。
💮時間の関係上、館内はしっかり見られませんでした🙇
石碑も然り、解説の案内文を読んで理解するだけでも・・・^^;
国指定の史跡です。2つの石碑が立っています。それぞれ亀の甲羅の上に立ってます。左側は1741年に6代藩主である毛利宗弘が建てた文碑で、明倫館創立の由来を書いた「明倫館記」が刻まれています。右側は1849年13代藩主の毛利敬親が新明倫館の開校を記念して建てたそうです。碑文には削り取られた文字が3つあります。この3文字がどういう文字であったかは不明だったそうですが、のちに原稿が発見されて判明したそうです。その部分は、「所以崇奉□□□為国家之蕃屏也」となっていて、削られた3文字は「幕命而」だそうです。文章の意味は、「幕命を崇奉して国家の蕃屏たる所以なり」ということだそうです。幕末長州は尊王攘夷が盛んだったため、幕府を崇拝するような碑文を良しとせず、藩校の学生数人が碑文の文字を削り取ったそうです。
名前 |
明倫館碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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明倫学舎前に碑が立っている明倫館創立の由来を伝える碑らしい。