歴史を感じる立派なお墓。
榊原家墓所の特徴
榊原家墓所は歴史的な背景が魅力です。
姫路城主の家系、榊原家の伝統を誇ります。
重要な時代に活躍した榊原康政が関与しています。
榊原家は2回にわたって姫路城主になったそうです。
家康時代に頭角を現した徳川四天王・榊原康政の家系は、1649年から1667年の忠次、政房の二代、1704年から1741年の政邦、政祐、政岑の三代、計5人の姫路藩主を出している。このうち、最初の忠次は、歴代姫路藩主の中でも名君とされ、夢前川改修や加古川の堤防新設、用水整備、新田開発など農業分野に力を入れ、姫路の産業基盤づくりに励んだとされている。その一方で、最後の政岑、八代将軍・吉宗の倹約令を無視して、吉原遊郭で遊興に励み、ついには三浦屋の名妓・10代目高尾太夫を1800両、あるいは2500両で身請けし、奢侈を好んで風流大名や好色大名として名をはせた結果、幕府からお咎めを食らって、越後高田に転封され、その翌年には高尾太夫にみとられ、亡くなっている。ただ、転封の直前、姫路城内にあったため、武士にしかお詣りの機会がなくなっていた長壁神社を庶民も参拝できるようにと長源寺境内に移し、その遷座際に式服ではなく、ゆかたでの参加を呼び掛けた。これにより大勢の庶民が集まり、盛大に遷座祭が行われた結果、姫路では政岑を”粋な殿様”と呼び、姫路の初夏の風物詩として、コロナ禍をくぐり抜け、今も続いている。そんな榊原家の政岑が1734年に建てた政房と政佑の墓碑が並んで残されている。23/09/28、参拝。政岑の話を見ていると、尾張・徳川宗治と共通するところを感じた。もう少しバランスが取れれば、名君になれたかもしれないなあ。
名前 |
榊原家墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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立派なお墓です。