向拝虹梁の波彫刻、心癒す大浜。
大浜八幡大神社の特徴
御祭神には饒速日命や天道日女命が祀られており、深い歴史を感じます。
越智氏族発祥の地として、地域の歴史を語る重要な神社です。
大浜で静かに祈りを捧げることができる、心和む場所です。
来島海峡SAからも歩いてこれます。5分もかからないと思います。
落ち着きます。
向拝虹梁の波の彫刻が素敵ね。
御祭神 乎致命 饒速日命 天道日女命 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 武内宿禰 市杵島姫命境内社 杵築神社 潮富貴神社饒速日命と天道日女命は、松山市北条の國津比古命神社、櫛玉比賣命神社にもお祀りされています。
河野家のルーツを探して、大浜に、此所から高縄、河野村そして湯築、それから北宇和、三間の地頭。それから滅亡?、時の流れは今今治の地に私はいます大変な旅でした。
静かで良いところです。
伊藤博文像が有ります。一応、越智氏族と紹介されているものの元々の出自は現在の山口県光市束荷字野尻の百姓林十蔵の長男で、父の再三の養子縁組により周防佐波郡相畑村の足軽・伊藤弥右衛門の子となり足軽身分になり伊藤姓を名乗る事になったので血筋から言うと越智氏とは全く関係なく繋がっていない!との話も有るようです。
御祭神 乎致命 ( おちのみこと )相殿 饒速日命 天道日女命 ( あまじひめのみこと ) 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后 武内宿祢命市杵島姫命 大穴牟遅命 乎致命は饒速日の十代目に当たり、七歳の時に応神天皇より伊予国・小市の国造に任ぜられ、ここ大浜の地に館を構え、南海に武威を示し、東予地方を開拓した。 乎致命九代の後裔乎致足尼高縄の創建。天智天皇の時に大島の津島にあった門島[つしま]神を遷座し、門島神社と号した。平安時代になって大分の宇佐八幡神社より八幡神を勧請して大浜八幡に改称したと言う。境内社 杵築神社 祭神 大穴牟遅命 潮富貴神社 ( しおふきじんじゃ ) 祭神 瀬織津姫命 外三柱境外社 美保神社 祭神 事代主命 楠神社 祭神 熊野久須毘命 杵築神社 祭神 大穴牟遅命。
大浜八幡神社 越智氏族発祥の地。
| 名前 |
大浜八幡大神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0898-22-3532 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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大浜八幡大神社 (おおはまはちまんだいじんじゃ)。愛媛県今治市大浜町。旧県社。主祭神:乎致命(おちのみこと)相殿神:饒速日命(にぎはやひのみこと)・天道日女命(あまじひめのみこと)・仲哀天皇・応神天皇・神功皇后・武内宿禰(たけのうちのすくね)・市杵島姫命・大穴牟遅命(おおなむちのみこと)資料によると、創建は不詳であるが、上古に遡って乎致命の九代孫にあたる乎致足尼高縄が創建したものとされており、応神天皇の時代に乎致命を祖神として当地にて大濱宮(王濱宮)と称した。859年(貞観元年)には宇佐八幡宮より八幡神を勧請し大濱八幡宮と改める。藩政時代は今治藩主の氏神として藩士の祈願所として藩内一位の神社として尊崇される。1871年(明治4年)、郷社大濱八幡宮となり、1937年(昭和12年)10月県社に列する。当社に伝わる1524年(大永4年)の造営棟札には「在来島城村上五郎四郎母」の文字が記されており、村上水軍が来島城に在城していた初見資料とされている。境内に乎致命像があり、池の向こうの大浜公園の中腹に越智氏族発祥之地碑がある。また、越智氏族初代内閣総理大臣・伊藤博文の石像があります。とあります。