中馬大蔵之墓が語る長生きの歴史。
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1635年に72歳とは、当時にしては長生きされたのではないでしょうか?関ヶ原の合戦などで手柄を立てたのはいいとして、誰に支えていたとか知りたくなりました。時間を見つけて調べてみようと思います。
名前 |
中馬大蔵之墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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墓地の一角に、「中馬大蔵之墓」と刻まれたひときわ大きな自然石を使った墓があり、大石の根元部分に小さな墓石が埋め込まれています。中馬大蔵は島津義弘に気に入られていたという家臣で、関ヶ原にも義弘に従って参加し、敗戦後は退き口を共にしたことで有名です。後に、城下の若者たちに関ヶ原の合戦談を聞かせて欲しいと頼まれた際に、辛く苦しかった退却戦のことを涙が溢れて語れなかったという逸話が小説などでも紹介されています。案内板によると、中馬大蔵は市来に生まれた郷士で、出水の野間の関所から笠山に至る沿岸の取締役になったそうです。武勇に優れ、朝鮮の役や関ヶ原の合戦等の各所で目覚ましい手柄を立て、その功により50石が与えられました。寛永11年(1635年)12月28日、瀬之浦で72歳の生涯を終えました。