九州最古の剱神社、歴史を感じる!
劔神社の特徴
劔神社は延喜式に登載された古社で、歴史的価値が高いです。
社伝によれば、仲哀天皇が関係した神社として知られています。
萩往還が通る東側に位置し、町の景観に溶け込んでいます。
九州だけやない。
延喜式(927年編纂完了)に登載されている式内神社で最も古い周防国十座の中の一座であるとのことです。 鎮守の森に静かに建たずむ社殿は、防府天満宮のような華やかさはありませんが、中世の歴史を感じることができました。 私見ではありますが、背後に剣のように険しく聳える右田ケ岳やこの山を源とする劔川が神社の東側を流れていることから、古代の山岳信仰が背景にあるように思います。 なお、「第14代仲哀天皇が熊襲親征(或は筑紫征伐)の折りに当地に行幸など」ほぼ同様の社伝が佐波神社にもあり、又、第12代景行天皇が熊襲征伐の折りに戦勝を祈願したとする社伝が玉祖神社にある等、当時の中央政権からすると周防の国は九州平定の最前線屯営地であったことが伺えます。 いづれにいたしましても、氏子が減少している昨今、神社を維持してゆくことは大変だと思います。地元の篤志家の皆様、由緒ある劔神社をよろしくお願いいたします!
周防一宮である玉祖(たまのおや)神社から近く、繋がりが良い。玉祖神社ともども周防國佐波郡の式内社で、延喜式当時から存在する古社になる。それにしては侘しげで、防府天満宮の華やかさとは比べようもない。防府天満宮にしても海岸近くにあったものが、今では妙に山裾へ退いて見えるけれど、千年前の海岸線は更に近かったのか。今では山陽新幹線の下。車は高架下の小さな橋を渡った先の駐車場に停めるしかない。正面の参道は徒歩が前提らしく、今では却って入口が分かりにくくなってしまった。剣社の名からして、剣山の麓かと思ったが、そういう訳ではないらしい。本殿はかなり腰高に作ってあり、出雲の影響かとも思ったものの、大社造ではないようだ。曾ては良い位置にある重要な施設だったか。今でも横の通りが山口市へ通じているのに、もはや足を止める人はないようだ。
立派な神社です。
社伝によると、このお宮は第14代仲哀天皇₍西暦300年頃₎が熊襲征伐のおりに立ち寄られ、八握の劔を御神体として素戔嗚尊をお祀りされたのが始まりだそうです。また後ろの山に上り、瀬戸内海を警戒するのにも適した場所だったそうです。境内には小さな石の祠、猿田彦の碑などが多くあり、狛犬も立派です。歴史のあるいいお宮なのですが、周辺が都会になってしまい、落ち着けない感じがします。
名前からしてカッコイイ神社です!御祭神もスサノオ様で雰囲気もありありでした~。
防府市高井の〔剱神社〕の東側を〔萩往還〕が通っている。江戸時代、萩(日本海)と三田尻(瀬戸内海)を結ぶ重要な道だった。その〔剱神社〕に芭蕉句碑が建っている。 傘におし分け見たる柳かな 現在は、〔剱神社〕の上を山陽新幹線が駆け抜ける。
名前 |
劔神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0835-23-6945 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
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劔神社 式内社 郷社 高井村鎮守。御祭神 素盞鳴尊。配祀神 武甕槌神日本武尊。