恵美須ヶ鼻造船所跡の石垣に秘めた歴史を感じて!
恵美須ヶ鼻造船所跡の特徴
『恵美須ヶ鼻造船所跡』は明治日本の産業革命遺産の一部です。
残された防波堤の石積みに歴史の深さが感じられます。
ボランティアガイドによる丁寧な説明が魅力のスポットです。
造船所跡らしいですが、あまり遺構が残っておらずよくわからないなと言うのが率直な感想です。
こちらはホントに港のところにあるだけ。誰も観光で来ている人はいなかったが、ブラタモリで以前観たことがあるので来てみた。世界遺産の構成資産である。
ロシアとオランダの異なる造船術が一つの造船所で確認できるとされる唯一の造船所としての貴重な遺跡ですえ?ほんまに場所ここで合ってると思うほどに現在は当時のままの石造堤防が残っているのみなので明倫館で「明治日本の産業革命遺産」の資料パネルで予習をしていくとイメージがわいていいかもしれません。
世界遺産指定の場所の中で、1番「ここ?!」となる場所かもしれない。もうちょっと整備してあると、楽しかったかも。
世界遺産なんですが、跡地なんでよくわからないです。
【山口県萩市の名所『恵美須ヶ鼻造船所跡』世界遺産構成資産の1つ】萩市で訪れていただきたい場所の1つ『恵美須ヶ鼻造船所跡』。萩反射炉近くにあるので、反射炉と共に訪れるとよいでしょう。幕末‐嘉永6年(1853)に幕府は各藩の軍備‐海防力の強化を目的に大船建造を解禁。浦賀の警備にあたっていた長州藩に大型船の建造を要請。嘉永6年(1853年)にロシアの使節プチャーチン提督がディアナ号で来日。長崎の後に伊豆の下田に移動し下田港に入港。その後、地震による津波により大きな損傷をうけて、沈没。たまに小生が釣りでいく伊豆の旧戸田村の港で大船の建造をすすめる。日本人船大工が多く建造に参加し、そこで西洋式の船の製造を学びました。その戸田村に長州藩は人を送り更には戸田村の大工の棟梁を戸田に招聘し恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を建設することを決定。同年12月には萩藩最初の西洋式木造帆船「丙辰丸」(全長25m、排水量47t、スクーナー船)を建造。その後、万延元年(1860)には2隻目の西洋式木造帆船「庚申丸(こうしんまる)」(全長43m)を建造しました。現在は跡地となっており防波堤と碑があるのみですが萩反射炉と共に訪れましょう。
「明治日本の産業革命遺産」という近代史的に重要な史跡グループのひとつです。つまり、ここだけで何か特別なものがあるわけではありません。まわりのたたら製鉄所や反射炉などもセットで理解することでこちらも価値を持ちます。こちら自体は2022.5現在、発掘作業が行われた後、埋め立てられていますので「何もありません」。ただ、観光ガイドのおばちゃんがいらっしゃり、色々と説明してくれるので是非聞いてあげてください。
案内所がありいろいろ教えていただきましたここでスクーナー型とバーグ型の戦艦が江戸末期に作られたという場所です残っているのが防波堤の石積みと礎石だけなのでロープなどを使って雰囲気が味わえる様に工夫されてますが博物館やビジターセンターで事前に知識を得ておかないとつまらないです。
世界遺産だから素晴らしい場所なのかもしれないが、パンフレットだけではこの場所の凄さが分からない。自分自身の知識のなさを悔やむ。
名前 |
恵美須ヶ鼻造船所跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0838-25-3139 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.1 |
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案内のお姉様がとっても親切でした。笠山に行くことを勧められました。ありがとうございます。