大内義隆ゆかりの大寧寺、歴史と共に。
大内義隆主従の墓所の特徴
大内義隆自刃の地として有名な大寧寺の境内にあります。
大内義隆や武将達の墓が並ぶ歴史的なスポットです。
墓所の見学は、歴史を感じさせる貴重な体験です。
6年前に大寧寺を訪ねた際に墓所を見学させて頂きました。 大内氏の16代当主「義隆」公は父の死去により22歳で家督を相続します。当初は領土拡大の野心も旺盛で九州の大友氏や山陰の尼子氏とも干戈を交えていました。しかし、天文11年(1542年)1月、尼子氏の拠点である出雲国の「月山富田城」攻めに大敗を喫し、以降は文治体制に転換します。このため、次第に武断派の「陶 隆房」(周防守護代)らと対立するようになりました。 天文20年(1551年)8月、「陶 隆房」が謀反の兵を挙げました。「義隆」公は親族が治める津和野を目指しましたが、台風のため足止めとなり、大寧寺まで辿り着いて立て籠りました。逆臣「陶」軍に包囲された「義隆」公は付き従った家臣や一族と共に自害しました。 約460年前の出来事ですが、武門の習いとはいえ、墓前に立つと切なくなりました。
大内義隆と義隆に従った武将達の墓です。
名前 |
大内義隆主従の墓所 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0837-25-3469 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
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曹洞宗の名刹で、大内義隆自刃の地として知られる大寧寺の境内にあります。毛利輝元が、義隆の死の33回忌に建てたものです。