二俣神社を目指して、古社巡りを!
二俣神社の特徴
周南市にある歴史ある式内社、二俣神社の魅力です。
立派な社殿が迎えてくれる、荘厳な雰囲気があります。
古社ならではの神聖な空気に包まれています。
道路沿いに看板有り。そこから参道、その奥右側に駐車場有り。狛犬は5対。それぞれに違いがあり、面白い。おすすめです。
国道315号線を錦川沿いに遡り「二俣橋」を目指すと、橋の袂、大向小学校(休校)先に当社の看板があった。この入口から乗り入れ、校舎横を進んだ先に鳥居が立ち、その手前右手に駐車場。大物主神・八千矛神・稻田姫神を祀る。式内社「二俣神社」論社の一つ、他に長穂の周方神社、鹿野の二所山田神社を論社とする。大物主神・八千矛神のみ三社に共通。拠って二俣神とは、此の二柱であろう。三社のうち最も二俣神社らしく、鳥居に「式内二俣神社」と掲げるも、地図に無い。当社横に出雲大社分教会も立つが、これも地図に無し。地図に無ければカーナビにも無し、Googleマップにあるのみ。地図屋よろしく当社を記すべし。鳥居の扁額は「式内社である二俣神社」という主張であって、社名は「二俣神社」である。向拝に掲げた扁額は、そう書いてある。その下に彫刻された神紋は長門三ツ星、これは毛利氏の紋。観世音菩薩座像を保存、これは見えなかった。当社の本地仏を鏡板に取り付け、内陣に掛けたという。神仏判然令を生き延びた本地仏は貴重、重要文化財。別当寺は見当たらず。猿田彦を祀るので、おそらく天台宗系。「猿田彦大神」と文字のみ彫る形式は、豊前のものに同じで、あるいは英彦山の山伏が来ていたか。応仁の乱以前なら、長門も豊前も大内氏が治めたので、それも有り得る。しかし、この猿田彦は、そこまで古くはない。隣に出雲大社分教会。教会の名に面食らうが、普通に神社。大物主神・八千矛神は、記紀では大國主の別名とされる。日本書紀/神代紀 : 一書に曰く。大國主神、亦たの名は大物主神、亦た號けて國作大己貴命、亦たは曰く葦原醜男、亦たは曰く八千戈神、亦たは曰く大國玉神、亦たは曰く顯國玉神。古事記:此の神(八嶋士奴美神)、刺國大神のむすめ、名は刺國若比賣を娶りて生める子、大國主神。亦たの名は大穴牟遲神と謂い、亦たの名は葦原色許男神と謂い、亦たの名は八千矛神と謂い、亦たの名は宇都志國玉神と謂う、併せて五の名有り。このうち大物主は、三輪山の主として再登場する。八千矛神は古事記に、高志國の沼河比賣と婚姻した時の歌合がある。元は異なる神格を、政治的事情により統合したものであろう。 この二柱を併せて二俣神と称する以上、切っても切れない関係にあったのだろうか。両面宿儺のような存在を想定していたのか。二俣神の伝承を聞きたいが、人が居なかった。
立派な神社です。
式内社の二俣神社。山の上にあった宮を里に移したようです。錦川沿いに二俣神社とされる神社が三ヶ所あります。この流域が早くから開けていたのでしょう。
周南市の古社。
| 名前 |
二俣神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-yamaguti/jsearch3yamaguti.php?jinjya=6847 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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二俣神社(ふたまたじんじゃ)。山口県周南市大向。式内社(小)、旧郷社。【祭神】大物主神 八千矛神 稻田姫神資料によると、第13代成務天皇59年、二俣山に創祀されたと伝わる。もとは現社地の前方を北から南に貫流する錦川を越えた東方の金峰山に鎮座したとも。二俣山がつまり、金峰山だろうか。御祭神は、大物主神・八千矛神・櫛稲田姫命。瀧ノ明神、あるいは二俣宮真名井の水とも号したという。式内社「二俣神社」は、平安時代の天安2年(858年)3月、官社に預り、貞観9年(867年)8月16日、正五位下に叙された。当社には、戦国時代の長享3年(1789年)4月16日、大内弘武が神殿を建立、慶長3年(1598年)11月10日には毛利輝元が造営したとの記録が残る。また、慶長18年(1613年)の他にも、元禄13年(1710年)4月16日には周防徳山藩3代藩主毛利元次が社殿を建立した。江戸時代中期の天明2年(1782年)、現社地に遷座した。現在の社殿後背の面積約800平米の社叢は、樹齢約300年の自然林の様相が保たれ、山頂には目通りの周囲3.7m、樹高約20mの自生のヒノキがある。とあります。